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カプートカップ2025~備忘録まとめ

2026.01.04

終わた

6月2日月曜日

イスタンブール空港出発ロビー

シベリア鉄道でヨーロッパを縦断し、アジアをバックパックし、イタリアにも4年以上滞在した

「人生は旅、移動こそ生きてるって感じるんですよね」なんてキザなセリフを決めてたこの俺が・・・

ロビーでYouTube見てたら・・・

飛行機乗り遅れた

「えっ、嘘だよねファイナルコールとかなかったじゃん」

「井出ちゃんさ、俺がそろそろじゃねって聞いたら、まだ大丈夫っす言ったよね」

少しずつ責任をスタッフの井出さんに転嫁していきながら、今起きてる現実から目をそむけようと必死だった

ゲートにはクローズと書いてある

鈴蘭高校の正門ではない、ナポリへの出発ゲートが閉ざされた

終わた

 

 

1年前ぐらいからだったと思う、パシュクアーレことチェザリの牧島くん(以下パシュクアーレ)

会うたびにマフィアさながら、耳元にささやいてくる

「グイド、グイド、大会に出てよ、大坪さんの背中を見せてやってください」

「伝統的なナポリピッツァの継承者として優勝して欲しい、大坪さんしかいない」

「今回がラストチャンスです、今しかない」

彼が2010年ナポリピッツァ職人世界選手権(いわゆるカプートカップね)のメイン、ピッツァナポレターナSTG部門で優勝してから15年、伝統的なマルゲリータかマリナーラを焼くこのカテゴリーで優勝した日本人はいない

つまり、防衛の義務のないこのチャンピオンの称号は永遠で、パシュクアーレは王様

そんな彼が新たな王を望むのは何故だ?さては俺に惨敗させて笑いものにしようとしてるんじゃないか…

いや、やっぱりジョブチューンで悪者にされたのを恨んでるんじゃ、一度疑心暗鬼にとりつかれたら怪しくしか見えない。

「やらねぇよ」っていつも逃げてきた

 

大会も迫ってきた2025年の5月にパシュクアーレが三越のイタリア展の為に来日してたカプア‐ノを連れてお店に食べに来てくれた。VincenzoCapuano~ナポリの超有名なピッツァ職人で2022年のコンテンポラリー・ピッツァ選手権で優勝、高く膨らんだ縁が特徴的な現代風ピッツァのチャンピオンだ

「大坪さんって緊張することあるんですか?」って良く言われるけど、僕は毎日緊張します

成功体験は江戸前気質で宵越しはしませんから、毎朝お天道様が登れば、また新しい今日が始まる。どんなお客様か、どんな生地か、動き出さなきゃ分かりゃしません。毎日窯の前に立つからこそ緊張します

「今夜は世界チャンピオン二人にピッツァ焼くんだぜ、そりゃドキドキするさ」

食事の最後、マルゲリータを焼いてくれってお願いされた

今だってマルゲリータが一番難しいって感じてる。ソースの火入れ、チーズの溶け具合と水分の残り方、乳化の度合い、バジリコの香りの出し方、オイルの量、グラナパダーノの量、そもそもグラナはかけるのかかけないのか?そして火入れだ、Belleza(美しさ)があって、しっかり火が通ってる。気にかけなきゃいけないポイントが山ほどあって、さすが女王、手がかかる

でも最高の女王に仕上げるのも悪女に仕上げるのも職人次第ってわけ、最高の執事になって彼女を育てなきゃいけない

カプートのサッコロッソ(赤袋)にマニトバ(アメリカーナ)ってのが僕が教わった生地作りの基本。冷蔵庫には入れない低イースト長時間発酵の生地だからタンパク質の多い粉を使う、夏は特にマニトバが増えるんだ、暑い夏にはしっかりした生地が必要だからね。弾力があり伸展性があるそんな生地をLiscia(滑らか)に練るつるつるした美しい生地はまさに女王の肌

まとうドレスはトマトソースの赤をベースにバジリコの緑とモッツァレラチーズの白

トマトソースの好みは人それぞれだけど、僕はずっと酸味が強くてサラッとした、トマトに塩しただけみたいなソースが好み♡潰すのでは無くムーランで漉すと滑らか、これも師匠のアドルフォから教わった。モッツァレラチーズはどう切るかが大事!そして水分量、冷凍ならカットしてから水に浸水させて水分を補填する、水牛のフレッシュならカットして水分を抜く。全く反対のことをして最後に残る水分量をイメージしていく

バジリコは最後にのせる。焦げるだろうって言われたことがある、バジリコの香りをトマトソースに移す為にモッツァレラチーズより先にのせるべきだと。否、マリナーラはバジリコの季節の香りをのせる為にトマトソースの上にのせるけど、マルゲリータの場合はチーズの上にのせ、オリーブオイルをかけて焼けば焦げずに香りが立つの。それでも焦げると言うなら、あんたの窯の上火が強すぎるんだよ

艶やかな白い肌に纏った三色のドレス、450度の薪火で綺麗に日焼けさせれば美しいイタリア女王の出来上がり

本当にマルゲリータは難しい

 

カプア-ノに焼いたマルゲリータは動画撮りながらの、話しながらのだったから、少しBencotto(よく焼き)だったけど、一口食べた彼がこう言ってくれたんだ「お父さんのピッツァの味がする~」ってね、彼の家は3代つ続くピッツァ職人の家系。そして「90年代の薫りがする」とも言ってくれた。Anni90(90年代)のナポリ文化、音楽、ピッツァを肌身で感じて、それを表現しようとしてきた僕にとっては嬉しい、最高の誉め言葉だった

自分が極東のこの日本で表現しているものが、ちゃんとナポリ人に届いてること、彼らの中に景色として想起させるようなピッツァを焼けるようになったんだと、そう感じた夜

大会に出たのはまだ修業時代の頃、大会規模も参加人数もいまの10分の1ぐらいの小さな規模のものだった、結果は予選落ち。それ以来大会の経験は無く、ミシュランに選ばれても、テレビで審査員をやらしてもらっても、パシュクアーレや大西君の隣で自分に冠が無いことに負い目を感じたことがあるのは事実だった

「あなたは何のチャンピオンだっけ?」何気ない司会者の言葉に恥ずかしさを覚えたこともね

食事の後にパシュクアーレと二人で話した「どうですか?出てくれますか」

「やらねぇよ」っていつものように返したけど、気持ちは前を向き始めてた・・・大会まで1カ月

 

自分の師匠は二人いる

一人はアドルフォ・マルレッタ

最初に修業に入ったピッツェリアで基本の伸ばし、焼き、考え方、すべてを彼と彼の弟サルバトーレから教えてもらった。アドルフォは当時、ナポリピッツァ職人協会の副会長をしてたから、黎明期のAPN(AssociazionePizzaiouloNapoletana)の活動も近くで見ることが出来た。秘書のセルジョ、スター職人だったガエターノ・エスポージトやアントニオ・スタリータ、皆まだ若くてバリバリだったから、ランチが終わるとモトリーノに乗ってアドルフォの店に集まっては協会の未来を話し合ってた。その頃の僕には喧嘩してるようにしか見えなかったけどね(笑)そんな場所にいれたおかげで何も出来なかった僕も顔を覚えてもらって、今でも「ジョッシィ!」って声かけてもらえる(イタリア人はYOが発音出来なくてJYOになっちゃう)

それは今でも僕の財産です、あの時代、あそこにいた、あの景色を知ってる、それが違いになってる

そんな僕の師匠も今年で齢76、職人の仕事は引退、大会期間中に会場にも審査員で来ることになっていた

「そんな師匠に花を贈るじゃないが冠を見せたく無いですか~」

パシュクアーレの殺し文句

もともと日本チームに同行することは決まっていた僕が引率選手になるだけだと…

夜の日本橋に陽気なナポリ人の声が響いてていた

 

 

今回の大会に参加する選手ミーティングが事前にZoomで行われると言う、スタッフの井出君が揚げピッツァのカテゴリーに挑戦することになっていたので僕も席端で見守らせてもらう。

ディスプレイに映し出される全国のピッツァ職人達、知った顔ばかりなのにその顔つきはあきらかに違う。そうね、例えるなら関ヶ原の合戦前の東軍、西軍のような。皆がてっぺんの首を狙ってるけど、そこには見坊策略があって、皆まだ手の内を見せない。オカピートの岡田君が「スタジオーネ部門で優勝します」サラリと言う、目がギラギラしてる、ラジネッロの大削君も「STGで表彰台、優勝」とクールに言う、眼鏡の奥に強い意志を見た、いつも愛嬌たっぷりのドン・チッチョの東郷君も相手をにらみつける仕切り前の相撲選手のよう

今、ピッツァの業界にも様々なプラットフォームがあって、職人やお店を順位でランク付けしたり、ミシュランの様に☆で格付けされたりもする。ただ何れも共通するのは選ばれるってこと、選択されるのであり、選択するのではない

ここにいる職人達には権利がある、それは自らが選択し自由な意思でもって勝ち取っていくということ。職人が本来持っている力を、削いでいくような大きな権力の前で、自分達には出来ないって思い込み、選ばれないことに膝を抱えてうずくまるのではない。自らで明日を勝ち取っていく大きな意志を彼らに感じたんだ、パンクだなって

以前国内の大会で、前に座っていた若い職人二人が小声で話してるのを耳にしたんだ

「オイ、俺たちさ、これ勝ったらさ、明日から人生変わるんだぜ」

僕のパンク魂に火がついた

 

その夜の営業はやけにマリナーラの注文が多かった

マリナーラとはナポリピッツァの原点とも言われる最古のピッツァの一つで、具材はトマトソースとニンニク、オレガノ、オリーブオイルのみ、生地の旨味がダイレクトに感じられるピッツァ。職人の腕試しみたいに通人から注文されることが多いが、そんなに人気はない。しかしこの夜は違った、店内にニンニクと生地が焼ける香ばしい匂いが溢れて、僕は1994の初めて訪れたナポリのピッツェリア・ダ・ミケーレにタイムスリップしてた

「楽しい…」シンプルなマリナーラを焼いていたら脳みそと身体を繋ぐパイプラインが貫通したのか、ハッキリと自分の気持ちが見えたんだ。マリナーラで大会に出たい、勝ち負けじゃなくてマリナーラを焼きたい。自分自身がシンプルになった瞬間だった。女王マルゲリータを大会で美しく焼くのは難しいかもしれない、けれどマリナーラを通して今の自分の技量とナポリピッツァと文化への感謝を表現することは出来る、そう思った

魂もやして、自分自身を焼き切るんだ

パシュクアーレに電話した「マリナーラでSTGに出るよ」

 

 

イスタンブール空港のケア・ポイントのカウンター。ここがイタリアなら何時間でも粘って罵詈雑言を浴びせつ続けることが出来るだろうけど、ここはトルコ・イスタンブール、俺の英語力では肩をすくめて笑顔で無茶を言うトルコ人を押し切ることが出来ずに完敗。それでも午後イチのナポリ行に潜り込むことは出来た、高い代償は払ったがまあ、今日中にナポリだ

マクドナルドで昼食、井出君と二人暗雲が立ち込めてきた気がして、必死に振り払う

ナポリ行の飛行機、高い代償を払った僕の席は非常口席で、足を伸ばせて快適快適、この辺りから気持ちの整理がついて、起こったこともポジティブに捉えられるようになっっていた。窓からの景色、綿あめみたいな雲がフワフワしてて何だか気持ちまで軽くなってきた。意を決して臨んだピッツァ世界選手権の前に、世界うっかり選手権がイスタンブールで開催!OK先ずは優勝(笑)ナポリへ!前途洋々よ

 

選手として訪れるナポリも観光で訪れるナポリも変わらないけど、主観がどう観るかで景色は変わる。僕は人の数だけ世界はあるんだと思う、あなたのナポリと誰かのナポリはもちろん違う。その多様性を包括するのがナポリっていう巨大なカオス(混沌)なのだと思う。その考え方自体はとてもキリスト教的で教会という建築物とミサを思うときに多様性を認める一元的な力を感じる

だからかな、いつもナポリでは自由だと感じるし、自分らしさという日本では薄ぺっらくて実態のないものに改めて質量を感じるんだ。ナポリは女性的でどこにいてもマリア様の胎内にいるような安心感がある(あくまで個人的な意見ですが笑)

 

カポ・ディ・キーノ空港から、いつもの宿とは反対方向Bagnoli(バニョーリ)方面へと向かう。今回の会場Mostra d’Oltremareは、ナポリのサッカースタジアムStadio Diego Armando Maradonaからも近く。あまり観光客には馴染みのないエリアだけど、サッカーやライブ、遊園地などナポリ人が娯楽を楽しむ郊外のエリアだと思ってもらったら良いかな。こっから車なら師匠の店はすぐ、早速僕のホームへ向かう

 

自分の師匠は2人いると言った

もう一人はジェンナーロ・チェルボーネ

今年で齢80も未だ現役。ピーニャセッカの市場を抜けて、モンテサントからクマーナ線で一駅PIAVEって駅で降りる

改札を抜けて右折、50メートルも歩いたらショーケースの前に座ってる巨漢の次男が見える「Ue’!Rino!やあリーノ」挨拶替わりにスラングが飛んでくる「nu mappina!雑巾野郎じゃねぇか」。親しい者だけで交わされる最上級の汚い言葉に暖かいホームを感じる

ジェンナーロはそこにいる、いつもそこにいる。雨の日も晴れの日も、寒い日も暑い日も、窯の前で久しぶりに来た弟子を今日も働きに来た日常の様に迎えてくれる、特に笑顔もなく「腹減ってるか?」と聞かれる

主観がどう見るかで景色は変わると言ったけど、ジェンナーロの前では僕はいつも教えを乞う弟子で、褒められた記憶なんて無いし、今だって怒られてばかり。PIZZE e PIZZEの景色は僕の主観を通してあるのではなく、常にそこにある。だけど知ってるんだ、彼は人前で、僕を紹介すると時はいつも、そういつもね「E’ assaje bravotoとっても優秀なんだ」って褒めてくれる

そんなジェンナーロにカプートカップに出るんだと伝えた、直ぐに表情も変えずに言ってくれた「何でも使え、全部この店の材料を使ったら良い、何でも言え」と…「マリナーラを焼こうと思ってる」そう伝えると驚いた顔で大会はマルゲリータでしか勝てないと言った

第1回から今までSTG部門は全てマルゲリータを焼いた職人が優勝している、マリナーラはシンプルが故に評価ポイントが少ない、生地の伸ばし、焼成、トマトソースへの火入れ、適切なオイル量とニンニク、オレガノのバランス、加えて見た目も真っ赤で野暮ったい、味に関してはシンプル、粋だけど華は無い。アピールし加点するにはそこに驚きやインパクトが必要になる、それは何か?

しかしマルゲリータは加点のポイントが多い、まずは全体の見た目の美しさ、赤・白・緑のトリコロールが際立った美しいマルゲリータは審査員の胸をうつ、またその為の焼成技術や水分コントロール、具材の組み立て方、モッツァレラチーズのクオリティも大きな加点になる

そもそもSTGとは伝統的特産品保証(Specialita Tradizionale Garantita)の略で伝統的なナポリピッツァの製法と品質を保護することを目的として2010年に認定されたもの、つまりナポリ風ではなく本物のナポリピッツァであるために材料・形状・製法といった厳格な基準を満たしたナポリピッツァであり、かつその種類は「マルゲリータ」と「マリナーラ」の2種類のみ

つまり、味、見た目だけでなく製法、知識、材料、そしてナポリ文化とその伝統への敬意、ナポリピッツァ職人としての立ち居振る舞いも大事とされる。伝統を重んじながら個としての違いも表現することが他の職人との差別化にもなるが、個が出すぎても良くない。ピッツァ職人としてのバランス=塩梅が大事になってくる、それはセンスと呼ばれる経験の集積だろう

 

「マリナーラにバジリコはのせて良いのか?」ジェンナーロの答えはNOだった。見た目も味もシンプルなマリナーラだけどバジリコをのせてたっぷりのオリーブオイルで焼成したマリナーラは、バジリコの良い香りが漂い、口に含めばオレガノが追いかけてくる二重奏♪♪シンプルが故に出来るアレンジが限られるマリナーラだから、バジリコはのせたかった。赤に緑が鮮烈に映えた見た目も美しい

しかし師曰く~バジリコは今は1年中あるけど、昔はStagionatoつまり初夏から夏の季節の食材だった、季節感をのせる為にバジリコを使用していたが、伝統的なマリナーラには香りが強すぎると…さてやはりオレガノだけで真向勝負かと腹を括ったその時だった

「ヨシ、イタリアンパセリなら良い」

何言ってんだよジェンナーロ、バジリコが駄目でパセリが大丈夫な理由が分かりません師匠!

師曰く~そもそもが船乗りや漁師が帰港後に好んで食べたのがマリナーラ「船乗りのピッツァ」と言われる。船乗りが売り物にならない小魚などをのせて焼いてもらったのが起源で、トマトソースにオレガノ、ニンニク、小魚とイタリアンパセリという組み合わせだった。それがどんどん安価になり具材が削ぎ落され今の形になり、名前だけが残ったと。だからイタリアンパセリはのせて良いのダ~ッ!!

のせれば分かるさ~ッ!

ジェンナーロ本当かよ、聞いたことねえんだけど、でもでも…面白い

人がやらないことや新しいことが大好きな少年の心を持った53歳は興奮気味に思った、これって俺しか知らないことなんじゃない?久しぶりに人から教えてもらうことへの知的興奮と大会への一助をもらえたことにほくそ笑みながらのホテルへの帰り道、ニヤニヤしてる俺を猫が見てた

ニィヤオ、ニィヤオなめたらあかんぜよ

 

22回目を迎えたカプートカップ、ナポリピッツァ職人世界選手権。世界最大規模の大会となった今年、出場国は20カ国を超え、エントリーしたピッツァイオーロ(ピッツァ職人)は500人以上、会場には10基以上の窯が鎮座し熱気と薪の薫りに包まれた

大会初日、オープニングセレモニーに集まる審査員や技術指導員、ゲストの中には2人の師匠。知り合いの職人への挨拶もそこそこにラボでの生地練りが始まる。3日間に渡る大会期間中に多彩なカテゴリーで競技が行われる、日本チームは主に2日目に競技を行う、この辺りも各国の手配師(主にインポーター)の腕と力の見せ所となるが、モンテ物産様のオーガナイズと岡田君、大削君、東郷君のリーダーシップによって時間とともに、チームとしての共通意識が生まれていた

予約した時間にラボで明日の競技の為の生地を練る訳だけど、基本はそれぞれのピッツァ職人が自分の生地を練る。手練り、機械練りと選択できるけども、ロスを出さないということも大事

慣れない環境と雰囲気は全員同じだけど、やはり経験値がものを言う大会。毎年参加してる職人達の準備の良さに驚く

普段は準備の人として石橋を叩いて渡るぐらいに慎重で臆病な僕だけど、今回は完全に現場主義で来たから、あれ無いこれ無いは現場で調達していくべと高を括ってた。生地を練るボールも取り合いだから、無ければ何とかするしかない訳で…僕は人生で初めて番重で練りましたよ(笑)結果計量もせずに感覚で練り始めた生地はもう練ってる途中でこりゃ駄目だって分かった。もう時間もない、夕方からはカプート社主催の食事会だから、深夜にホテルで練るしかない…ほー大変だこりゃ、置かれた自分の状況を客観的に見ればかなりピンチなはず

でもねこっからしっかり切り替えることが出来たの。もう25年この仕事をしてる、大会の為に手練りの試作などしてこなかったけど、比較できる経験があった。一回練ってみて大体の水分量の目安は分かった、ホテルに帰って練ってから競技までの時間を逆算してイースト量を決めた、粉量とサッコロッソ&ヌ-ヴォラのブレンド比も店と同じに調整して計量、塩分量は手練りだから粉量が減ることを考慮して10%ぐらい減らした。番重を借りてしっかり計量した材料、井出ちゃんからステンレスボールを借りてホテルの部屋へ納品

不安はあるが食事会へと行く

大会前日18:00まだ明日の生地は練れていない

 

スポンサーのカプート社が用意してくれたレストランはZi Teresa

卵城のふもと、サンタルチアの美しい海に面したエレガントなレストラン、そこのテラス席を貸し切って日本、韓国、台湾の全出場選手と関係者を招いてのディナー。改めてカプート社の凄さとお料理の豪華さに感嘆するも、ワインにはあまり手が伸びない。美味しそうな魚介のパスタも喉を通らない。僕の頭中を占めていたのは今夜の手練りの手順

練りから発酵、明日の競技までを繰り返し繰り返し反復してた。いつまでも終わらない宴、出来るだけ早く帰りたいのは俺だけじゃなくて、これから帰って練るって職人と、寝るって職人は半々ぐらいだったんじゃないかな

今夜はナポリの大スターGigi D’alessio(タンブレッロのランチタイムのBGMのあれね)のスタジアムライブがあって、帰りのタクシーは深夜の大渋滞の中を進む。ホテルに着いた頃には日付けも変わってた

さあ生地を練る

大会当日00:30

 

リンカーンは言った

「木を切り倒すのに6時間与えられたら、最初の4時間を斧を研ぐのに費やすだろう」

競技のたった10分間の為に費やす準備と段取り、まず「出来る」と決意し行動すること

準備はしっかりやった、段取りも反復して、出来るという意志をもって生地を練った

悪くないと思った,発酵時間の短さを考慮して高い発酵力を持つヌ-ヴォラを多めにした

さあ寝よ

大会当日02:00

 

寝れない

全然寝れない

めっちゃ緊張してきた、何か分からないけどネガティブなイメージに囚われて不安でしょうがない

ピッツァを落とす、ピッツァに穴を開ける、焦がす、発酵過多になりすぎてしまう…周りの嘲笑、ほくそ笑み。大坪はしょうもない、実力無き虚像…、SNSに拡散される”大坪惨敗”

不安に飛び起きて生地を見る、それを朝まで繰り返してた(笑)

 

それでも30分ぐらいは寝たのだろうか。いつもよりゆっくりシャワーを浴びて、丁寧に髪の毛を仕上げたのに、勝負パンツを忘れてきたのが不安に追い打ちをかける

手持ちの中から黒と白の下着を選んだ、OK白黒ハッキリさせてやるよ、気持ちはグレーのまんま

大会当日07:00

 

この時点で生地の発酵は8割ほど、あと3時間ぐらいで発酵はピークに入る。不安はツインピークス

競技用に正装した姿を鏡の前に映してみる、「臆病な者ほど遠くに行ける」誰かの言った言葉を反復する

パシュクアーレに大坪さんの背中を見せてほしいと言われた、それが誰かの背中を押すのだからと

背中を見せるってことは

先頭に立つこと

戦いの先頭で刀を抜くこと

道なき道を進み、底も通ること

ついてこいよと、一歩を踏み出すこと…

奮い立たせるつもりが、振り返って逃げたくなったから

生地をかついでジェンナーロのとこに向かった

 

AM7:30

ジェンナーロの店のシャッターはまだ開いてない

生地を持って待ってると、隣の八百屋の親父が声かけてくれた

名前なんかお互い覚えちゃいなかったけど、今日大会に出るんだよって伝えると、好きなもん持ってけ、バジリコもパセリもニンニクもと、きっついナポリ弁で伝えてくれる。馴染みのタクシードライバーのミンモが俺を見つけて嬉しそうに近づいて来る、「ジョッシィー、ジェンナーロはもう少しで来るぜ」少しずつだけど24,5年前の当時の景色と今が重なってきて、やっぱりここは変わんないって、ドキドキしてた鼓動が少しだけ落ち着いてきた

ジェンナーロが来る、相変わらず表情一つ変えずに

「どうしたヨシ」

「一枚焼かせてくれないかな」

「グラッファ食べるか?」

「はい」

変わらないやりとりが心地よい

窯の火を点けて、揚げたてのグラッファを食べる。Graffaはナポリを代表するジャガイモを練りこんだ揚げドーナッツ。揚げたてのふわふわモチモチとした食感は一度食べたら忘れられない味。専門店では揚げたてを食べる為にナポリ人が並ぶ。寝不足の身体に甘さが染みて、血糖値が上がってくるのが分かる

 

トマトソースを同行してくれた井出さんに仕込んでもらう。いつもタンブレッロで使ってるトマト缶はインカンポ、株式会社佐勇さんのプライベートブランドだけど、サレルノ産のトマトを使って現地で加工してる。イタリアでは手に入らないから日本から持ってきた。そう例えるならイタリア生まれの日本育ちだけど、イタリア語は話せないイタリア人ってとこかな。特徴的な酸味は炉床からの熱を伝えてあげることでフレッシュ感になり、トマト本来の甘味とあわさって美味しいソースになる。シンプルなピッツァだからこそ、注力すべき素材にはこだわりたかった

ニンニク、オレガノは冷蔵庫から失敬する、これで準備は終わった、マリナーラのシンプルさよ

 

そろそろ窯の火が出来上がってきた、時間は無い、試し焼きをさせてもらう

53歳が80歳に教えを乞う

発酵は9割、生地は悪くない、Asciuto(きちんと発酵して乾いてる)Liscio(滑らか)、教えられたように出来てる

打ち粉に生地を取り出して感触を確かめるように伸ばし始める、下から上へ両手の指の腹でイチ、ニィ、サン、教えられたように優しく

どう伸ばすかについては今じゃ生地の下から上が基本だけど、僕が最初にアドルフォから教わったのは上から下だった。ジェンナーロのとこでは何度も下からだと怒られたけど、こう教わったのだからと頑なに上からにこだわった。結果、ジェンナーロの店ではフォルナイオ(焼き)しかさせてもらえなかったな

なのに、タンブレッロをオープンしてから日本で会ったアドルフォはパシュクアーレの影響か下から上に伸ばしてた。「俺はあなたに上からと教わったんだけど」って怒ったし、俺の教えた職人は皆上からだよと(つまり孫の世代まで受け継いでますよと)。アドルフォは悪ブレもせずこう言った「だってこの方がコルニッチョーネが綺麗に作れるじゃん」って(笑)。70歳越えても、より良いと思ったら簡単に変えれる柔軟さ。これが南イタリアの移民が世界中他国の文化の中で自国アイデンティティを守りながら力強く生きていけた原動力なのかもしれない。なので僕も今じゃ下からです

 

手練りならではの滑らかなグルテンは指先の力を素直に受け止めてくれる、そして窯に入れれば着床した炉床の熱を食べてふわりと膨らんでくれる。まだ一時間ぐらいの朝の窯だけど、この窯は名工トゥーリス窯、蓄熱量は抜群

ピッツァ職人は生地、窯、材料、すべての情報をもとにその場で判断→決定していく。良い職人かどうかは経験と、情報量の差だと思ってる。薪窯内の情報と生地の発酵情報、集積した情報が良いピッツァを産む

 

膨らみは良いが色付は悪い、おが屑(Segatura)を手前に投入して窯内の上火にアクセルを入れる、一気に対流熱が生まれて生地に色味がついてくる、パーラ(ピッツァを回転させる道具ね)を左側から差し込んで半回転、底の焼きもチェックする。薄っすらと焼き色はついてるけどまだ生地が重い…

重い?「味見できないピッツァ、大坪さんはどうやって美味しいかどうか確認するんですか?」。良く聞かれるんだけど、こう答えます、「生地の水分がしっかり抜けてるかどうかで判断してます」と

何のこっちゃかと思いますよね。説明するね、長いよ(笑)

☞ナポリピッツァの基本は低イースト、長時間発酵です。その主眼は長時間発酵によって粉と水の水和率を高め、自由水の割合を出来るだけ減らすこと。良いピッツァとはその自由水を薪窯の焼成によって焼ききること、つまり自由水の割合が低ければ低いほど、焼成時間は短くなる。そしてきっちり水分の抜けたピッツァは軽い!

何度でも言おう、軽く美味しいいピッツァってのは長時間発酵させ水和率を高めた生地の自由水を、適切な温度で焼成=脱水することで生まれる。カリッとした外側のクラスト、モチッとした食感が特徴のナポリピッツァはこうして生まれる

1999年ナポリ、ポルタ・サンジェンナーロ、Pizzeria Capasso。極限まで長時間発酵させた加水率の高い生地、天使の分け前、軽くなった脆弱な生地に生地を足して成形、信じられないぐらいの高温の窯で丁寧に焼き上げてた。加水率、残糖量、窯温、全てが極限だった。成形、伸ばし、焼成、3人がそれぞれの役割を真摯にこなしていく、そこにある職人の、技術の美しさと対比するようなピッツェリアの喧騒。丁寧に演奏してるロックンロール、そんな感じか。愛情が溢れてた

あの景色を知ってるか知らないかは、大きな違いなんだ。あなたがナポリピッツァ職人ならこう言おう

「若者よ、ナポリに旅に出よ」☜

 

重く感じたピッツァ、手前に持ってきてもう少しトマトソースを煮沸させる、オリーブオイルが過熱されて、ニンニクに火が入り、オレガノとあわさった香しい匂いに包まれる。パーラでくるくると回転させながら水分が抜けたのを確認する。OK良いんじゃないかな

一口食べたジェンナーロ「Va bbe’良いじゃん」、タクシードライバーのミンモも頷いてる

良く考えたら、自分が焼いたピッツァをジェンナーロにに食べてもらうのはこれが初めてだった

「聞けヨッシィ、生地は悪くない。会場に着いたら冷蔵庫にいれて、競技の1時間前には外に出せ」

店の外には満面の笑みの八百屋のオヤジが、イタリアンパセリの束を抱えて待っていた

 

AM9:30

会場入り

朝のミーティング、僕の番号は52番。日本人選手の出場時間は11:30頃からとのこと。差配するのは各国のカプートを輸入するインポーター。選手が良いコンディションで競技に臨めるようにと尽力してくれている、モンテ物産様には感謝しかない。また岡田君をはじめ、大削君、東郷君のリーダーシップがチームを一つにまとめてくれたことで、相互補助の精神が日本チームには流れてた。これは他国のチームには無い日本独自のものだと思う、世界に誇れる国民性、他を思いやり和を重んじるこころ

ラボでは外国チームの身勝手さが目に付いた、ルールを守らない、協調性の無さ、また食材の盗難なども見られた

日本人は優しい、されたら仕方ないと自らが一歩引くことも多い。優しさも思いやりも美徳だが、時には強く主張することも大事。”僕らはヨーロッパで戦ってるんだ”海外で戦うことはそういった人間的な成長にもなる、自らがより良く戦える環境は自らでつくらなきゃいけない。

 

メインであるSTGの競技開始

僕は冷静なドローンのように客観的な視点で会場を俯瞰していく。競技の審査は4人一組で行われる、各自持ち点500、満点は2000点だ。着席、試食、質疑応答する3人と窯の横で競技者の補助をしながら、所作、手順をチェックする一人。そして製法、知識だけではなく材料をチェックするアシスタントも設けられている。彼が適切な原産地の材料を使っているか、生地は規定のグラムに収められてるかなど、STGであるための厳格な基準を確認していく

また、焼成時間や競技時間をストップウォッチで計るなど厳密になってると感じた

それは様々なカテゴリーが増え、巨大化していくナポリピッツァシーンにおいて、カプート社と若い職人達が伝統的なマルゲリータとマリナーラ、つまりナポリ風ではなく本物のナポリピッツァを守っていく為に、より材料・形状・製法といった基準を厳格にし、後世に伝えていくという強い意志だと思った。ナポリにおいても、伝統とは集団の意志によって守っていかなければいけないものなのだろう

おじさんは若い日本の職人にこう言いたい

同じ熱量とは言わない、でもあなたがピザ職人ではなくナポリピッツァ職人であるなならば「ナポリを見て焼け」と

今、日本には美味しいナポリピッツァの店は沢山ある、日本でピッツァを食べて感動して日本でピッツァを学んだ職人も多いと思う。ナポリに行かなくても、イタリア語を話せなくても、ピッツァは焼けるし、チャンピオンにもなれるでしょう。日本にいれば差別もないし、言葉の不自由もない、朝は白いご飯を食べて、昼はパスタ、夜はチゲ鍋でも良い

でもね、僕は初めてナポリピッツァを食べたあのミケーレの景色と匂いを忘れない、白い壁、職人の日焼けした肌、ペローニの瓶、怒号、笑い声、皿からはみ出たマルゲリータ、1枚だけ乗ったバジリコの鮮烈な緑、街を行くモトリーノの騒音、排気ガスの匂いとニンニクの薫り…僕はそんな背景を知っている。市場の喧騒、朝の渋滞とエスプレッソ、アマレーナとグラニータの香り、マッシモとアレッサンドロとアンナが沢山いる小道を知っている。同じスラングが軽蔑や侮辱から親しみへと変わるのを、豆のパスタの味気無さが素朴で深淵な味へと変わるのを知っている

その景色を思い出すと涙がでそうになるんだ

全員とは言わないよ、でもあなたがこれからヨーロッパで戦うなら、あなたが見た、あなたが感動したナポリをのっけて表現して欲しい、あなたなりの感動の表現で良いんだ。最大のリスペクトと敬意を持って臨んで欲しい。なぜなら、あなたが生業としてるこの仕事の今までと現在を未来に繋げるのは、あなた自信なのだから。本場の職人達が心血を持って継いでいこうとしてるこの食文化の担い手として

 

カプート社の社長のアンティモが右手を突き上げて挨拶してくれる、馴染みの職人達が声をかけてくれる

僕は25年やってきて、彼らの文化に敬意を表してきた、だから愛されてると感じる。文化への愛情は決して一方方向ではないと僕は信じてる。さあ行こう、「52チンクアンタァドゥッエ」僕の番号が呼ばれた

 

とてもリラックスしていた、僕のたたずまいは正に、余裕を持ったベテラン職人の域で。誰も僕が朝のホテルの鏡の前で緊張に逃げ出したいと思っていたなどとは想像もしなかっただろう、まさに天下無双。本番に強いという自覚はあったが、この天下一武道会において最高の状態。生地は確認もしていなかった、もはや何でも焼けるという自信しかなかった…忘れないで欲しい、早朝は失敗を恐れて眠れなかった男が6時間後に漢になった

 

STGの審査員はナポリ人の職人だけが審査する、窯横にはパシュクアーレ牧島、着席の3人の中には世界的に有名な職人のEnzo Coccia(エンツォコッチャ)もいた。彼は伝統的なナポリピッツァに科学と高品質な食材を取り入れたパイオニアで、伝統と現代を繋ぐ名匠。僕も尊敬する職人だった、ついてると思った。

アシスタントが僕の食材に難癖をつけてくる、オリーブオイルもトマトソースも原産国はイタリアなんだけど、どちらも日本の会社のPBだから、原産地の表記が日本語だけだった。こんな時にしっかりと相手を納得させる為にも、焼き上げるピッツァだけではなく、持ち込む食材に関してもイタリア語でしっかり説明できる準備は必要。準備、準備だ

生地の計量、260gでパス「perfetto

異なる環境で同じようにピッツァを焼くにはどうしたら良い?、僕は初めてのピッツェリアではストレスの無いようにいつもの環境にカスタマイズする。打ち粉が左なら右にする、強力粉ならセモリナ粉にする、トマトソースや具材の配置、オリーブオイルの場所、窯前が汚いなら綺麗に整える、火力が弱いと感じるなら調整する、戦いの場を整える。そうすれば心も自然と整う、あらゆる状況を想像力でもって想定し準備する。火力が弱いと感じた時の為に同じカテゴリーに参加する山根さんから杉薪も借りていた

14:00

競技開始

思ったより発酵は進んでいるがAsciutoで悪くない、糖分量は減ってるから少し強火が良いだろう、手前に薪一本。Vamos!さあ行こう

この時点で正直、イタリアンパセリをのせるかどうかは決めてなかった(笑)もちろん用意していたが明確な規定のあるSTGでイタリアンパセリをのせるのはリスクが大きいと感じていたのは事実

伸ばし始める、リズミカルに、楽器を奏でるように、タンバリンのリズムで、教えられたように、敬意を持って。

トマトソース、ニンニク、オレガノ、イタリアンパセリ、オリーブオイル…あれっ、右から左の流れで無意識にイタリアンパセリもトッピングしている僕がいた、全ては流れ、全ては運命、「ままよ」とパシュクアーレにパーラを要求するも。動かないパシュクアーレ…無言、アシスタントのイタリア人を見る、目を合わせない…無言

やっぱのせない方が良いかな、そうなんだろ?二人を見る…無言、イタリアンパセリを除く。師匠すいません(笑)

パーラがすっと伸びてきた

想定より長く作業台に置いた生地だけど、打ち粉は少なく丁寧にパーラへ、無事に狙った所へ着床

パシュクアーレの方が緊張してるのか、僕より前のめりに窯内を見てる。とりあえず縁の上がりを待つ。手練りの生地は素直に上がってくれるが炉床熱は少し低いようだ、リスクはあるが一番奥へと移動すべきかどうかを悩む(0.5秒ぐらい)焼き切れてないピッツァを奥に運ぶのは穴を開ける可能性もある、杉薪を入れて手前でゆっくりもあるけど、しっかり焼き切りたかった。奥へピッツァを移動する、そうこれまでずっとリスクがある方を選ぶ人生だった

狙ったのは僕が育った90年代のナポリピッツァ、縁は高め、大きすぎず小さすぎず、しっかり発酵させた生地を高温で焼くスタイル。エンツォと審査員にピッツァを持っていく

ペースを握る為にナポリ弁でまくしたてた、自己紹介、ピッツァの仕立て、修業先の師匠…

「あなたの出身は?」と聞かれたので「100%日本人だ」と答えた、笑い声、つかみはOK

正直に、イタリアンパセリのストーリーも語ったら、そんな話は知らないと言われた。そうだよなエンツォは俺の10歳年上、他の二人はもっと若い

試食前にエンツォが言ってくれた「ピッツェリアへの入り方、準備、所作が素晴らしかったよ」

「敬意の現れです」そう伝えた

 

翌日の表彰台からの景色を

僕は一生忘れないだろう

ゆっくりと、ゆっくりと一番高いところまで歩いて行った

これまでもゆっくりだったのだから、急ぐ必要などなかった

ナポリ人も日本人も、皆が笑顔で嬉しそうで、パシュクアーレも跳び跳ねてた

家族に感謝した、スタッフに感謝した、仲間に感謝した

ナポリと聖ジェンナーロに感謝した

第22回ナポリピッツァ職人世界選手権STG部門優勝

俺もナポリで漢になった

 

僕にとって大会とは記録に残すものではなく、人の記憶に残すものだった

受動的に動くのではなく能動的に

選択するのではなく掴み取るよな

そんなドキドキするよな瞬間だった

 

表彰台を降りると、満面の笑みで職人仲間のDavideが抱きついてきた

準備不足で優勝できるなんて思ってなかったと伝えたら

こう言われたんだ

「ヨッシィ、お前は26年間準備してきたじゃないか」ってね

 

”臆病な者ほど遠くに行ける”

YOSHIHISA OTSUBO~