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あるEssere ないNon ho

2023.10.05

コロナ過の3年を乗り越えて東京で今年14年目のタンブレッロ

ブログ書くの久しぶり、お湯かけて三分みたいなインスタントグラム(笑)という手っ取り早い表現が近くにあると…休日の午後に甘いチャイでも用意しないと、書くという表現に至れなかったりします

僕にとって書くはお料理と一緒で準備が必要

食材の準備というよりは気持ちの準備かな

何を書くではなく、ただ書くぞという決意

料理もさ、作るぞっていう決意じゃない?

文筆家ではないので言葉があふれてくるわけじゃないから

ただ心の音を聞いて言葉にしていくだけ

 

最近思うことなど

八重洲ブックセンターが閉業するというニュースを聞きました。地方出身者の僕にとっては、初めての土地で安心できる場所って本屋さんだったから、東京なら八重洲ブックセンター、新宿なら紀伊国屋書店だった。知識の宝庫を歩いていると、知らない町でも何だか知ったかぶりになれた

今、東京を歩いてると古い建物がどんどん壊されて無機質な商業ビルやホテルが、凄いスピードで建てられてく。街の個性や匂いが無くなって、入ってよい場所、入っちゃいけない場所の境界線が曖昧になって、代わりに人と人との境界線はより明確に線引きされていく。人はそれを多様性と呼ぶよね、平面的な街にある潜在的な相手への無関心を

利便性と何でもあるの街作りの中で、行っちゃいけない場所が無くなってく…

「ヨシ、あそこからあっちはね、絶対にいっちゃだめだよ」母さんが話してくれたそんな見えない街の境界線。そこを意志を持って越えていくのが大人への階段だった

 

サスティナブル、ビーガン、ナチュールワイン

概念が先走りした既存のものに対するカウンターカルチャーなのかな、当たり前のことが当たり前じゃなくなったから?豊かになって生まれた文化みたいなもの?僕には良くわからないのだけど、有るから産まれた過剰なようなものにも見える。それを否定はしないけど、無濾過の有機栽培ブドウを使ったワインを飲みながら、完全にビーガンで持続可能な生活を東京で現実化するには、お金も時間もエネルギーもかかる。近所のスーパーじゃ持続不可能

南インド料理屋で一緒に働いてたクマールさんはモスリムで、土から上の野菜しか食べれなかった。自分で作ったヨーグルトとひよこ豆にレンズ豆、毎日それを食べて幸せそうだった。食べるものに迷う必要など無かったし代替え肉など必要じゃなかった

徳川の世。あの時代の江戸じゃ当然農薬なんかなかったから、薪をくべて窯で炊いたご飯に、味噌汁、目刺しぐらいの慎ましい食事。長屋の共同体には境界なんか無くて、夜の営みだって筒抜けだったはず。元来、質素で季節の素材を楽しみ、有るよりも無いを楽しむ日本人だったのに、余白に何かを描き混むよりも、余白を楽しむような、助け合いと人情こそがこの日本の美徳だったのに

 

今の東京のコンビニは24時間、無いを補充しつ続けながら営業してる、余白を埋めながら。賞味期限は厳格で、食べられる食料は今日も大量に廃棄されてる。

この街は無いに応えようとして

この街にしか無かった駄菓子屋をコンビニにしてしまう

この街にしかなかった文化や景色が、大きな無いを叶える為に壊されていく

本当の有るはかけがいの無いものなのに、気が付かないで

ずっと見守ってくれた街の木々を切り倒す

子ども達を見守ってたタバコ屋のおばちゃんはもういない

 

人不足と言いながら、どんどんと作られていく商業施設内の飲食店

サステイナブルと言いながら食材を大量廃棄する企業

東京のタワマンの上から「やっぱりワインは自然派だね」とつぶやく地方出身者

自分達のオリジナルや期限や文化を忘れて

既製品や賞味期限や見栄えの良い文化に溺れてる日本人

 

きっと僕もその一人だから

現実を大きく変えることは出来ないけど

出会った人とのご縁の中で”何か”を伝えていくことは出来るのかしら

目の前の有る(essere)の豊かさに感謝して、持って無い(Non ho)に固執することない人生ならきっと

目の前の名の無い花も砂漠に咲く幻の花のようにかけがいの無いもになる

羊を食べるモンゴルやアザラシを食べるエスキモーの人たちの

純真な眼を見た時に感じたんです

 

”そこにあるものを食べる”

 

羊を食べることは、羊が食べた草を食べること、草を育てた水をいただくこと

アザラシを食べることは、アザラシが食べた海藻を食べること、海藻を育てた海をいただくこと

目の前の有るに感謝を忘れずに、自分もその地球の循環の一部になり生き物をいただく

何を食べるかに迷いがなくて

足るを知る人達は幸せだと思います

 

イタリアは先進国です、モンゴルやアラスカとは違います

食材も豊かで、お料理は地方色にあふれ、色とりどりに鮮やか、彼らは一日中イタリア料理を食べる

 

朝は和定食を食べて、お昼はイタリアン、夜は韓国料理な日本人

世界一の美食の街と言われる東京、世界一雑食の日本人

 

家族とマンマの料理を食べ

友達とピッツァエリアに行き

恋人とリストランテに行く

春夏秋冬、季節のお料理があり、旬の食材がある

食べるものに迷いがない国イタリアの

人々の目もやはり純真

 

 

東京の外食は過剰だと思うし大手主導で行われる街の開発には疑問しかありません。

飲食店をランキングすることで産まれる、価値基準のグローバル化は、自ら選択する審美眼を愚鈍にし、これから飲食店を目指す若者の方向性まで決めてしまう。

自分で歩いて感じた小さな世界の総体が世界であること

多様性を容認するこの世界への感謝を忘れないこと

そんなことを

築70年の古いビルの

小さなピザ屋で考えてる

 

Essere有るは、この世の存在みたいなもの

Non hoはもってないって意味

地球のリズムで、生きていれば

自分の持っていないなんて取るに足らないことだから、欲しがらず、求めず

あなたが持っているものを大事にしてね

あなたはもう、こんなに豊かなのだから

そんな思いをピッツァに込めて

愛を込めて

14年目も窯に薪をくべるのです

ゆっくりと遠くへ

 

大坪