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カプートカップ2025~備忘録まとめ

2026.01.04

終わた

6月2日月曜日

イスタンブール空港出発ロビー

シベリア鉄道でヨーロッパを縦断し、アジアをバックパックし、イタリアにも4年以上滞在した

「人生は旅、移動こそ生きてるって感じるんですよね」なんてキザなセリフを決めてたこの俺が・・・

ロビーでYouTube見てたら・・・

飛行機乗り遅れた

「えっ、嘘だよねファイナルコールとかなかったじゃん」

「井出ちゃんさ、俺がそろそろじゃねって聞いたら、まだ大丈夫っす言ったよね」

少しずつ責任をスタッフの井出さんに転嫁していきながら、今起きてる現実から目をそむけようと必死だった

ゲートにはクローズと書いてある

鈴蘭高校の正門ではない、ナポリへの出発ゲートが閉ざされた

終わた

 

 

1年前ぐらいからだったと思う、パシュクアーレことチェザリの牧島くん(以下パシュクアーレ)

会うたびにマフィアさながら、耳元にささやいてくる

「グイド、グイド、大会に出てよ、大坪さんの背中を見せてやってください」

「伝統的なナポリピッツァの継承者として優勝して欲しい、大坪さんしかいない」

「今回がラストチャンスです、今しかない」

彼が2010年ナポリピッツァ職人世界選手権(いわゆるカプートカップね)のメイン、ピッツァナポレターナSTG部門で優勝してから15年、伝統的なマルゲリータかマリナーラを焼くこのカテゴリーで優勝した日本人はいない

つまり、防衛の義務のないこのチャンピオンの称号は永遠で、パシュクアーレは王様

そんな彼が新たな王を望むのは何故だ?さては俺に惨敗させて笑いものにしようとしてるんじゃないか…

いや、やっぱりジョブチューンで悪者にされたのを恨んでるんじゃ、一度疑心暗鬼にとりつかれたら怪しくしか見えない。

「やらねぇよ」っていつも逃げてきた

 

大会も迫ってきた2025年の5月にパシュクアーレが三越のイタリア展の為に来日してたカプア‐ノを連れてお店に食べに来てくれた。VincenzoCapuano~ナポリの超有名なピッツァ職人で2022年のコンテンポラリー・ピッツァ選手権で優勝、高く膨らんだ縁が特徴的な現代風ピッツァのチャンピオンだ

「大坪さんって緊張することあるんですか?」って良く言われるけど、僕は毎日緊張します

成功体験は江戸前気質で宵越しはしませんから、毎朝お天道様が登れば、また新しい今日が始まる。どんなお客様か、どんな生地か、動き出さなきゃ分かりゃしません。毎日窯の前に立つからこそ緊張します

「今夜は世界チャンピオン二人にピッツァ焼くんだぜ、そりゃドキドキするさ」

食事の最後、マルゲリータを焼いてくれってお願いされた

今だってマルゲリータが一番難しいって感じてる。ソースの火入れ、チーズの溶け具合と水分の残り方、乳化の度合い、バジリコの香りの出し方、オイルの量、グラナパダーノの量、そもそもグラナはかけるのかかけないのか?そして火入れだ、Belleza(美しさ)があって、しっかり火が通ってる。気にかけなきゃいけないポイントが山ほどあって、さすが女王、手がかかる

でも最高の女王に仕上げるのも悪女に仕上げるのも職人次第ってわけ、最高の執事になって彼女を育てなきゃいけない

カプートのサッコロッソ(赤袋)にマニトバ(アメリカーナ)ってのが僕が教わった生地作りの基本。冷蔵庫には入れない低イースト長時間発酵の生地だからタンパク質の多い粉を使う、夏は特にマニトバが増えるんだ、暑い夏にはしっかりした生地が必要だからね。弾力があり伸展性があるそんな生地をLiscia(滑らか)に練るつるつるした美しい生地はまさに女王の肌

まとうドレスはトマトソースの赤をベースにバジリコの緑とモッツァレラチーズの白

トマトソースの好みは人それぞれだけど、僕はずっと酸味が強くてサラッとした、トマトに塩しただけみたいなソースが好み♡潰すのでは無くムーランで漉すと滑らか、これも師匠のアドルフォから教わった。モッツァレラチーズはどう切るかが大事!そして水分量、冷凍ならカットしてから水に浸水させて水分を補填する、水牛のフレッシュならカットして水分を抜く。全く反対のことをして最後に残る水分量をイメージしていく

バジリコは最後にのせる。焦げるだろうって言われたことがある、バジリコの香りをトマトソースに移す為にモッツァレラチーズより先にのせるべきだと。否、マリナーラはバジリコの季節の香りをのせる為にトマトソースの上にのせるけど、マルゲリータの場合はチーズの上にのせ、オリーブオイルをかけて焼けば焦げずに香りが立つの。それでも焦げると言うなら、あんたの窯の上火が強すぎるんだよ

艶やかな白い肌に纏った三色のドレス、450度の薪火で綺麗に日焼けさせれば美しいイタリア女王の出来上がり

本当にマルゲリータは難しい

 

カプア-ノに焼いたマルゲリータは動画撮りながらの、話しながらのだったから、少しBencotto(よく焼き)だったけど、一口食べた彼がこう言ってくれたんだ「お父さんのピッツァの味がする~」ってね、彼の家は3代つ続くピッツァ職人の家系。そして「90年代の薫りがする」とも言ってくれた。Anni90(90年代)のナポリ文化、音楽、ピッツァを肌身で感じて、それを表現しようとしてきた僕にとっては嬉しい、最高の誉め言葉だった

自分が極東のこの日本で表現しているものが、ちゃんとナポリ人に届いてること、彼らの中に景色として想起させるようなピッツァを焼けるようになったんだと、そう感じた夜

大会に出たのはまだ修業時代の頃、大会規模も参加人数もいまの10分の1ぐらいの小さな規模のものだった、結果は予選落ち。それ以来大会の経験は無く、ミシュランに選ばれても、テレビで審査員をやらしてもらっても、パシュクアーレや大西君の隣で自分に冠が無いことに負い目を感じたことがあるのは事実だった

「あなたは何のチャンピオンだっけ?」何気ない司会者の言葉に恥ずかしさを覚えたこともね

食事の後にパシュクアーレと二人で話した「どうですか?出てくれますか」

「やらねぇよ」っていつものように返したけど、気持ちは前を向き始めてた・・・大会まで1カ月

 

自分の師匠は二人いる

一人はアドルフォ・マルレッタ

最初に修業に入ったピッツェリアで基本の伸ばし、焼き、考え方、すべてを彼と彼の弟サルバトーレから教えてもらった。アドルフォは当時、ナポリピッツァ職人協会の副会長をしてたから、黎明期のAPN(AssociazionePizzaiouloNapoletana)の活動も近くで見ることが出来た。秘書のセルジョ、スター職人だったガエターノ・エスポージトやアントニオ・スタリータ、皆まだ若くてバリバリだったから、ランチが終わるとモトリーノに乗ってアドルフォの店に集まっては協会の未来を話し合ってた。その頃の僕には喧嘩してるようにしか見えなかったけどね(笑)そんな場所にいれたおかげで何も出来なかった僕も顔を覚えてもらって、今でも「ジョッシィ!」って声かけてもらえる(イタリア人はYOが発音出来なくてJYOになっちゃう)

それは今でも僕の財産です、あの時代、あそこにいた、あの景色を知ってる、それが違いになってる

そんな僕の師匠も今年で齢76、職人の仕事は引退、大会期間中に会場にも審査員で来ることになっていた

「そんな師匠に花を贈るじゃないが冠を見せたく無いですか~」

パシュクアーレの殺し文句

もともと日本チームに同行することは決まっていた僕が引率選手になるだけだと…

夜の日本橋に陽気なナポリ人の声が響いてていた

 

 

今回の大会に参加する選手ミーティングが事前にZoomで行われると言う、スタッフの井出君が揚げピッツァのカテゴリーに挑戦することになっていたので僕も席端で見守らせてもらう。

ディスプレイに映し出される全国のピッツァ職人達、知った顔ばかりなのにその顔つきはあきらかに違う。そうね、例えるなら関ヶ原の合戦前の東軍、西軍のような。皆がてっぺんの首を狙ってるけど、そこには見坊策略があって、皆まだ手の内を見せない。オカピートの岡田君が「スタジオーネ部門で優勝します」サラリと言う、目がギラギラしてる、ラジネッロの大削君も「STGで表彰台、優勝」とクールに言う、眼鏡の奥に強い意志を見た、いつも愛嬌たっぷりのドン・チッチョの東郷君も相手をにらみつける仕切り前の相撲選手のよう

今、ピッツァの業界にも様々なプラットフォームがあって、職人やお店を順位でランク付けしたり、ミシュランの様に☆で格付けされたりもする。ただ何れも共通するのは選ばれるってこと、選択されるのであり、選択するのではない

ここにいる職人達には権利がある、それは自らが選択し自由な意思でもって勝ち取っていくということ。職人が本来持っている力を、削いでいくような大きな権力の前で、自分達には出来ないって思い込み、選ばれないことに膝を抱えてうずくまるのではない。自らで明日を勝ち取っていく大きな意志を彼らに感じたんだ、パンクだなって

以前国内の大会で、前に座っていた若い職人二人が小声で話してるのを耳にしたんだ

「オイ、俺たちさ、これ勝ったらさ、明日から人生変わるんだぜ」

僕のパンク魂に火がついた

 

その夜の営業はやけにマリナーラの注文が多かった

マリナーラとはナポリピッツァの原点とも言われる最古のピッツァの一つで、具材はトマトソースとニンニク、オレガノ、オリーブオイルのみ、生地の旨味がダイレクトに感じられるピッツァ。職人の腕試しみたいに通人から注文されることが多いが、そんなに人気はない。しかしこの夜は違った、店内にニンニクと生地が焼ける香ばしい匂いが溢れて、僕は1994の初めて訪れたナポリのピッツェリア・ダ・ミケーレにタイムスリップしてた

「楽しい…」シンプルなマリナーラを焼いていたら脳みそと身体を繋ぐパイプラインが貫通したのか、ハッキリと自分の気持ちが見えたんだ。マリナーラで大会に出たい、勝ち負けじゃなくてマリナーラを焼きたい。自分自身がシンプルになった瞬間だった。女王マルゲリータを大会で美しく焼くのは難しいかもしれない、けれどマリナーラを通して今の自分の技量とナポリピッツァと文化への感謝を表現することは出来る、そう思った

魂もやして、自分自身を焼き切るんだ

パシュクアーレに電話した「マリナーラでSTGに出るよ」

 

 

イスタンブール空港のケア・ポイントのカウンター。ここがイタリアなら何時間でも粘って罵詈雑言を浴びせつ続けることが出来るだろうけど、ここはトルコ・イスタンブール、俺の英語力では肩をすくめて笑顔で無茶を言うトルコ人を押し切ることが出来ずに完敗。それでも午後イチのナポリ行に潜り込むことは出来た、高い代償は払ったがまあ、今日中にナポリだ

マクドナルドで昼食、井出君と二人暗雲が立ち込めてきた気がして、必死に振り払う

ナポリ行の飛行機、高い代償を払った僕の席は非常口席で、足を伸ばせて快適快適、この辺りから気持ちの整理がついて、起こったこともポジティブに捉えられるようになっっていた。窓からの景色、綿あめみたいな雲がフワフワしてて何だか気持ちまで軽くなってきた。意を決して臨んだピッツァ世界選手権の前に、世界うっかり選手権がイスタンブールで開催!OK先ずは優勝(笑)ナポリへ!前途洋々よ

 

選手として訪れるナポリも観光で訪れるナポリも変わらないけど、主観がどう観るかで景色は変わる。僕は人の数だけ世界はあるんだと思う、あなたのナポリと誰かのナポリはもちろん違う。その多様性を包括するのがナポリっていう巨大なカオス(混沌)なのだと思う。その考え方自体はとてもキリスト教的で教会という建築物とミサを思うときに多様性を認める一元的な力を感じる

だからかな、いつもナポリでは自由だと感じるし、自分らしさという日本では薄ぺっらくて実態のないものに改めて質量を感じるんだ。ナポリは女性的でどこにいてもマリア様の胎内にいるような安心感がある(あくまで個人的な意見ですが笑)

 

カポ・ディ・キーノ空港から、いつもの宿とは反対方向Bagnoli(バニョーリ)方面へと向かう。今回の会場Mostra d’Oltremareは、ナポリのサッカースタジアムStadio Diego Armando Maradonaからも近く。あまり観光客には馴染みのないエリアだけど、サッカーやライブ、遊園地などナポリ人が娯楽を楽しむ郊外のエリアだと思ってもらったら良いかな。こっから車なら師匠の店はすぐ、早速僕のホームへ向かう

 

自分の師匠は2人いると言った

もう一人はジェンナーロ・チェルボーネ

今年で齢80も未だ現役。ピーニャセッカの市場を抜けて、モンテサントからクマーナ線で一駅PIAVEって駅で降りる

改札を抜けて右折、50メートルも歩いたらショーケースの前に座ってる巨漢の次男が見える「Ue’!Rino!やあリーノ」挨拶替わりにスラングが飛んでくる「nu mappina!雑巾野郎じゃねぇか」。親しい者だけで交わされる最上級の汚い言葉に暖かいホームを感じる

ジェンナーロはそこにいる、いつもそこにいる。雨の日も晴れの日も、寒い日も暑い日も、窯の前で久しぶりに来た弟子を今日も働きに来た日常の様に迎えてくれる、特に笑顔もなく「腹減ってるか?」と聞かれる

主観がどう見るかで景色は変わると言ったけど、ジェンナーロの前では僕はいつも教えを乞う弟子で、褒められた記憶なんて無いし、今だって怒られてばかり。PIZZE e PIZZEの景色は僕の主観を通してあるのではなく、常にそこにある。だけど知ってるんだ、彼は人前で、僕を紹介すると時はいつも、そういつもね「E’ assaje bravotoとっても優秀なんだ」って褒めてくれる

そんなジェンナーロにカプートカップに出るんだと伝えた、直ぐに表情も変えずに言ってくれた「何でも使え、全部この店の材料を使ったら良い、何でも言え」と…「マリナーラを焼こうと思ってる」そう伝えると驚いた顔で大会はマルゲリータでしか勝てないと言った

第1回から今までSTG部門は全てマルゲリータを焼いた職人が優勝している、マリナーラはシンプルが故に評価ポイントが少ない、生地の伸ばし、焼成、トマトソースへの火入れ、適切なオイル量とニンニク、オレガノのバランス、加えて見た目も真っ赤で野暮ったい、味に関してはシンプル、粋だけど華は無い。アピールし加点するにはそこに驚きやインパクトが必要になる、それは何か?

しかしマルゲリータは加点のポイントが多い、まずは全体の見た目の美しさ、赤・白・緑のトリコロールが際立った美しいマルゲリータは審査員の胸をうつ、またその為の焼成技術や水分コントロール、具材の組み立て方、モッツァレラチーズのクオリティも大きな加点になる

そもそもSTGとは伝統的特産品保証(Specialita Tradizionale Garantita)の略で伝統的なナポリピッツァの製法と品質を保護することを目的として2010年に認定されたもの、つまりナポリ風ではなく本物のナポリピッツァであるために材料・形状・製法といった厳格な基準を満たしたナポリピッツァであり、かつその種類は「マルゲリータ」と「マリナーラ」の2種類のみ

つまり、味、見た目だけでなく製法、知識、材料、そしてナポリ文化とその伝統への敬意、ナポリピッツァ職人としての立ち居振る舞いも大事とされる。伝統を重んじながら個としての違いも表現することが他の職人との差別化にもなるが、個が出すぎても良くない。ピッツァ職人としてのバランス=塩梅が大事になってくる、それはセンスと呼ばれる経験の集積だろう

 

「マリナーラにバジリコはのせて良いのか?」ジェンナーロの答えはNOだった。見た目も味もシンプルなマリナーラだけどバジリコをのせてたっぷりのオリーブオイルで焼成したマリナーラは、バジリコの良い香りが漂い、口に含めばオレガノが追いかけてくる二重奏♪♪シンプルが故に出来るアレンジが限られるマリナーラだから、バジリコはのせたかった。赤に緑が鮮烈に映えた見た目も美しい

しかし師曰く~バジリコは今は1年中あるけど、昔はStagionatoつまり初夏から夏の季節の食材だった、季節感をのせる為にバジリコを使用していたが、伝統的なマリナーラには香りが強すぎると…さてやはりオレガノだけで真向勝負かと腹を括ったその時だった

「ヨシ、イタリアンパセリなら良い」

何言ってんだよジェンナーロ、バジリコが駄目でパセリが大丈夫な理由が分かりません師匠!

師曰く~そもそもが船乗りや漁師が帰港後に好んで食べたのがマリナーラ「船乗りのピッツァ」と言われる。船乗りが売り物にならない小魚などをのせて焼いてもらったのが起源で、トマトソースにオレガノ、ニンニク、小魚とイタリアンパセリという組み合わせだった。それがどんどん安価になり具材が削ぎ落され今の形になり、名前だけが残ったと。だからイタリアンパセリはのせて良いのダ~ッ!!

のせれば分かるさ~ッ!

ジェンナーロ本当かよ、聞いたことねえんだけど、でもでも…面白い

人がやらないことや新しいことが大好きな少年の心を持った53歳は興奮気味に思った、これって俺しか知らないことなんじゃない?久しぶりに人から教えてもらうことへの知的興奮と大会への一助をもらえたことにほくそ笑みながらのホテルへの帰り道、ニヤニヤしてる俺を猫が見てた

ニィヤオ、ニィヤオなめたらあかんぜよ

 

22回目を迎えたカプートカップ、ナポリピッツァ職人世界選手権。世界最大規模の大会となった今年、出場国は20カ国を超え、エントリーしたピッツァイオーロ(ピッツァ職人)は500人以上、会場には10基以上の窯が鎮座し熱気と薪の薫りに包まれた

大会初日、オープニングセレモニーに集まる審査員や技術指導員、ゲストの中には2人の師匠。知り合いの職人への挨拶もそこそこにラボでの生地練りが始まる。3日間に渡る大会期間中に多彩なカテゴリーで競技が行われる、日本チームは主に2日目に競技を行う、この辺りも各国の手配師(主にインポーター)の腕と力の見せ所となるが、モンテ物産様のオーガナイズと岡田君、大削君、東郷君のリーダーシップによって時間とともに、チームとしての共通意識が生まれていた

予約した時間にラボで明日の競技の為の生地を練る訳だけど、基本はそれぞれのピッツァ職人が自分の生地を練る。手練り、機械練りと選択できるけども、ロスを出さないということも大事

慣れない環境と雰囲気は全員同じだけど、やはり経験値がものを言う大会。毎年参加してる職人達の準備の良さに驚く

普段は準備の人として石橋を叩いて渡るぐらいに慎重で臆病な僕だけど、今回は完全に現場主義で来たから、あれ無いこれ無いは現場で調達していくべと高を括ってた。生地を練るボールも取り合いだから、無ければ何とかするしかない訳で…僕は人生で初めて番重で練りましたよ(笑)結果計量もせずに感覚で練り始めた生地はもう練ってる途中でこりゃ駄目だって分かった。もう時間もない、夕方からはカプート社主催の食事会だから、深夜にホテルで練るしかない…ほー大変だこりゃ、置かれた自分の状況を客観的に見ればかなりピンチなはず

でもねこっからしっかり切り替えることが出来たの。もう25年この仕事をしてる、大会の為に手練りの試作などしてこなかったけど、比較できる経験があった。一回練ってみて大体の水分量の目安は分かった、ホテルに帰って練ってから競技までの時間を逆算してイースト量を決めた、粉量とサッコロッソ&ヌ-ヴォラのブレンド比も店と同じに調整して計量、塩分量は手練りだから粉量が減ることを考慮して10%ぐらい減らした。番重を借りてしっかり計量した材料、井出ちゃんからステンレスボールを借りてホテルの部屋へ納品

不安はあるが食事会へと行く

大会前日18:00まだ明日の生地は練れていない

 

スポンサーのカプート社が用意してくれたレストランはZi Teresa

卵城のふもと、サンタルチアの美しい海に面したエレガントなレストラン、そこのテラス席を貸し切って日本、韓国、台湾の全出場選手と関係者を招いてのディナー。改めてカプート社の凄さとお料理の豪華さに感嘆するも、ワインにはあまり手が伸びない。美味しそうな魚介のパスタも喉を通らない。僕の頭中を占めていたのは今夜の手練りの手順

練りから発酵、明日の競技までを繰り返し繰り返し反復してた。いつまでも終わらない宴、出来るだけ早く帰りたいのは俺だけじゃなくて、これから帰って練るって職人と、寝るって職人は半々ぐらいだったんじゃないかな

今夜はナポリの大スターGigi D’alessio(タンブレッロのランチタイムのBGMのあれね)のスタジアムライブがあって、帰りのタクシーは深夜の大渋滞の中を進む。ホテルに着いた頃には日付けも変わってた

さあ生地を練る

大会当日00:30

 

リンカーンは言った

「木を切り倒すのに6時間与えられたら、最初の4時間を斧を研ぐのに費やすだろう」

競技のたった10分間の為に費やす準備と段取り、まず「出来る」と決意し行動すること

準備はしっかりやった、段取りも反復して、出来るという意志をもって生地を練った

悪くないと思った,発酵時間の短さを考慮して高い発酵力を持つヌ-ヴォラを多めにした

さあ寝よ

大会当日02:00

 

寝れない

全然寝れない

めっちゃ緊張してきた、何か分からないけどネガティブなイメージに囚われて不安でしょうがない

ピッツァを落とす、ピッツァに穴を開ける、焦がす、発酵過多になりすぎてしまう…周りの嘲笑、ほくそ笑み。大坪はしょうもない、実力無き虚像…、SNSに拡散される”大坪惨敗”

不安に飛び起きて生地を見る、それを朝まで繰り返してた(笑)

 

それでも30分ぐらいは寝たのだろうか。いつもよりゆっくりシャワーを浴びて、丁寧に髪の毛を仕上げたのに、勝負パンツを忘れてきたのが不安に追い打ちをかける

手持ちの中から黒と白の下着を選んだ、OK白黒ハッキリさせてやるよ、気持ちはグレーのまんま

大会当日07:00

 

この時点で生地の発酵は8割ほど、あと3時間ぐらいで発酵はピークに入る。不安はツインピークス

競技用に正装した姿を鏡の前に映してみる、「臆病な者ほど遠くに行ける」誰かの言った言葉を反復する

パシュクアーレに大坪さんの背中を見せてほしいと言われた、それが誰かの背中を押すのだからと

背中を見せるってことは

先頭に立つこと

戦いの先頭で刀を抜くこと

道なき道を進み、底も通ること

ついてこいよと、一歩を踏み出すこと…

奮い立たせるつもりが、振り返って逃げたくなったから

生地をかついでジェンナーロのとこに向かった

 

AM7:30

ジェンナーロの店のシャッターはまだ開いてない

生地を持って待ってると、隣の八百屋の親父が声かけてくれた

名前なんかお互い覚えちゃいなかったけど、今日大会に出るんだよって伝えると、好きなもん持ってけ、バジリコもパセリもニンニクもと、きっついナポリ弁で伝えてくれる。馴染みのタクシードライバーのミンモが俺を見つけて嬉しそうに近づいて来る、「ジョッシィー、ジェンナーロはもう少しで来るぜ」少しずつだけど24,5年前の当時の景色と今が重なってきて、やっぱりここは変わんないって、ドキドキしてた鼓動が少しだけ落ち着いてきた

ジェンナーロが来る、相変わらず表情一つ変えずに

「どうしたヨシ」

「一枚焼かせてくれないかな」

「グラッファ食べるか?」

「はい」

変わらないやりとりが心地よい

窯の火を点けて、揚げたてのグラッファを食べる。Graffaはナポリを代表するジャガイモを練りこんだ揚げドーナッツ。揚げたてのふわふわモチモチとした食感は一度食べたら忘れられない味。専門店では揚げたてを食べる為にナポリ人が並ぶ。寝不足の身体に甘さが染みて、血糖値が上がってくるのが分かる

 

トマトソースを同行してくれた井出さんに仕込んでもらう。いつもタンブレッロで使ってるトマト缶はインカンポ、株式会社佐勇さんのプライベートブランドだけど、サレルノ産のトマトを使って現地で加工してる。イタリアでは手に入らないから日本から持ってきた。そう例えるならイタリア生まれの日本育ちだけど、イタリア語は話せないイタリア人ってとこかな。特徴的な酸味は炉床からの熱を伝えてあげることでフレッシュ感になり、トマト本来の甘味とあわさって美味しいソースになる。シンプルなピッツァだからこそ、注力すべき素材にはこだわりたかった

ニンニク、オレガノは冷蔵庫から失敬する、これで準備は終わった、マリナーラのシンプルさよ

 

そろそろ窯の火が出来上がってきた、時間は無い、試し焼きをさせてもらう

53歳が80歳に教えを乞う

発酵は9割、生地は悪くない、Asciuto(きちんと発酵して乾いてる)Liscio(滑らか)、教えられたように出来てる

打ち粉に生地を取り出して感触を確かめるように伸ばし始める、下から上へ両手の指の腹でイチ、ニィ、サン、教えられたように優しく

どう伸ばすかについては今じゃ生地の下から上が基本だけど、僕が最初にアドルフォから教わったのは上から下だった。ジェンナーロのとこでは何度も下からだと怒られたけど、こう教わったのだからと頑なに上からにこだわった。結果、ジェンナーロの店ではフォルナイオ(焼き)しかさせてもらえなかったな

なのに、タンブレッロをオープンしてから日本で会ったアドルフォはパシュクアーレの影響か下から上に伸ばしてた。「俺はあなたに上からと教わったんだけど」って怒ったし、俺の教えた職人は皆上からだよと(つまり孫の世代まで受け継いでますよと)。アドルフォは悪ブレもせずこう言った「だってこの方がコルニッチョーネが綺麗に作れるじゃん」って(笑)。70歳越えても、より良いと思ったら簡単に変えれる柔軟さ。これが南イタリアの移民が世界中他国の文化の中で自国アイデンティティを守りながら力強く生きていけた原動力なのかもしれない。なので僕も今じゃ下からです

 

手練りならではの滑らかなグルテンは指先の力を素直に受け止めてくれる、そして窯に入れれば着床した炉床の熱を食べてふわりと膨らんでくれる。まだ一時間ぐらいの朝の窯だけど、この窯は名工トゥーリス窯、蓄熱量は抜群

ピッツァ職人は生地、窯、材料、すべての情報をもとにその場で判断→決定していく。良い職人かどうかは経験と、情報量の差だと思ってる。薪窯内の情報と生地の発酵情報、集積した情報が良いピッツァを産む

 

膨らみは良いが色付は悪い、おが屑(Segatura)を手前に投入して窯内の上火にアクセルを入れる、一気に対流熱が生まれて生地に色味がついてくる、パーラ(ピッツァを回転させる道具ね)を左側から差し込んで半回転、底の焼きもチェックする。薄っすらと焼き色はついてるけどまだ生地が重い…

重い?「味見できないピッツァ、大坪さんはどうやって美味しいかどうか確認するんですか?」。良く聞かれるんだけど、こう答えます、「生地の水分がしっかり抜けてるかどうかで判断してます」と

何のこっちゃかと思いますよね。説明するね、長いよ(笑)

☞ナポリピッツァの基本は低イースト、長時間発酵です。その主眼は長時間発酵によって粉と水の水和率を高め、自由水の割合を出来るだけ減らすこと。良いピッツァとはその自由水を薪窯の焼成によって焼ききること、つまり自由水の割合が低ければ低いほど、焼成時間は短くなる。そしてきっちり水分の抜けたピッツァは軽い!

何度でも言おう、軽く美味しいいピッツァってのは長時間発酵させ水和率を高めた生地の自由水を、適切な温度で焼成=脱水することで生まれる。カリッとした外側のクラスト、モチッとした食感が特徴のナポリピッツァはこうして生まれる

1999年ナポリ、ポルタ・サンジェンナーロ、Pizzeria Capasso。極限まで長時間発酵させた加水率の高い生地、天使の分け前、軽くなった脆弱な生地に生地を足して成形、信じられないぐらいの高温の窯で丁寧に焼き上げてた。加水率、残糖量、窯温、全てが極限だった。成形、伸ばし、焼成、3人がそれぞれの役割を真摯にこなしていく、そこにある職人の、技術の美しさと対比するようなピッツェリアの喧騒。丁寧に演奏してるロックンロール、そんな感じか。愛情が溢れてた

あの景色を知ってるか知らないかは、大きな違いなんだ。あなたがナポリピッツァ職人ならこう言おう

「若者よ、ナポリに旅に出よ」☜

 

重く感じたピッツァ、手前に持ってきてもう少しトマトソースを煮沸させる、オリーブオイルが過熱されて、ニンニクに火が入り、オレガノとあわさった香しい匂いに包まれる。パーラでくるくると回転させながら水分が抜けたのを確認する。OK良いんじゃないかな

一口食べたジェンナーロ「Va bbe’良いじゃん」、タクシードライバーのミンモも頷いてる

良く考えたら、自分が焼いたピッツァをジェンナーロにに食べてもらうのはこれが初めてだった

「聞けヨッシィ、生地は悪くない。会場に着いたら冷蔵庫にいれて、競技の1時間前には外に出せ」

店の外には満面の笑みの八百屋のオヤジが、イタリアンパセリの束を抱えて待っていた

 

AM9:30

会場入り

朝のミーティング、僕の番号は52番。日本人選手の出場時間は11:30頃からとのこと。差配するのは各国のカプートを輸入するインポーター。選手が良いコンディションで競技に臨めるようにと尽力してくれている、モンテ物産様には感謝しかない。また岡田君をはじめ、大削君、東郷君のリーダーシップがチームを一つにまとめてくれたことで、相互補助の精神が日本チームには流れてた。これは他国のチームには無い日本独自のものだと思う、世界に誇れる国民性、他を思いやり和を重んじるこころ

ラボでは外国チームの身勝手さが目に付いた、ルールを守らない、協調性の無さ、また食材の盗難なども見られた

日本人は優しい、されたら仕方ないと自らが一歩引くことも多い。優しさも思いやりも美徳だが、時には強く主張することも大事。”僕らはヨーロッパで戦ってるんだ”海外で戦うことはそういった人間的な成長にもなる、自らがより良く戦える環境は自らでつくらなきゃいけない。

 

メインであるSTGの競技開始

僕は冷静なドローンのように客観的な視点で会場を俯瞰していく。競技の審査は4人一組で行われる、各自持ち点500、満点は2000点だ。着席、試食、質疑応答する3人と窯の横で競技者の補助をしながら、所作、手順をチェックする一人。そして製法、知識だけではなく材料をチェックするアシスタントも設けられている。彼が適切な原産地の材料を使っているか、生地は規定のグラムに収められてるかなど、STGであるための厳格な基準を確認していく

また、焼成時間や競技時間をストップウォッチで計るなど厳密になってると感じた

それは様々なカテゴリーが増え、巨大化していくナポリピッツァシーンにおいて、カプート社と若い職人達が伝統的なマルゲリータとマリナーラ、つまりナポリ風ではなく本物のナポリピッツァを守っていく為に、より材料・形状・製法といった基準を厳格にし、後世に伝えていくという強い意志だと思った。ナポリにおいても、伝統とは集団の意志によって守っていかなければいけないものなのだろう

おじさんは若い日本の職人にこう言いたい

同じ熱量とは言わない、でもあなたがピザ職人ではなくナポリピッツァ職人であるなならば「ナポリを見て焼け」と

今、日本には美味しいナポリピッツァの店は沢山ある、日本でピッツァを食べて感動して日本でピッツァを学んだ職人も多いと思う。ナポリに行かなくても、イタリア語を話せなくても、ピッツァは焼けるし、チャンピオンにもなれるでしょう。日本にいれば差別もないし、言葉の不自由もない、朝は白いご飯を食べて、昼はパスタ、夜はチゲ鍋でも良い

でもね、僕は初めてナポリピッツァを食べたあのミケーレの景色と匂いを忘れない、白い壁、職人の日焼けした肌、ペローニの瓶、怒号、笑い声、皿からはみ出たマルゲリータ、1枚だけ乗ったバジリコの鮮烈な緑、街を行くモトリーノの騒音、排気ガスの匂いとニンニクの薫り…僕はそんな背景を知っている。市場の喧騒、朝の渋滞とエスプレッソ、アマレーナとグラニータの香り、マッシモとアレッサンドロとアンナが沢山いる小道を知っている。同じスラングが軽蔑や侮辱から親しみへと変わるのを、豆のパスタの味気無さが素朴で深淵な味へと変わるのを知っている

その景色を思い出すと涙がでそうになるんだ

全員とは言わないよ、でもあなたがこれからヨーロッパで戦うなら、あなたが見た、あなたが感動したナポリをのっけて表現して欲しい、あなたなりの感動の表現で良いんだ。最大のリスペクトと敬意を持って臨んで欲しい。なぜなら、あなたが生業としてるこの仕事の今までと現在を未来に繋げるのは、あなた自信なのだから。本場の職人達が心血を持って継いでいこうとしてるこの食文化の担い手として

 

カプート社の社長のアンティモが右手を突き上げて挨拶してくれる、馴染みの職人達が声をかけてくれる

僕は25年やってきて、彼らの文化に敬意を表してきた、だから愛されてると感じる。文化への愛情は決して一方方向ではないと僕は信じてる。さあ行こう、「52チンクアンタァドゥッエ」僕の番号が呼ばれた

 

とてもリラックスしていた、僕のたたずまいは正に、余裕を持ったベテラン職人の域で。誰も僕が朝のホテルの鏡の前で緊張に逃げ出したいと思っていたなどとは想像もしなかっただろう、まさに天下無双。本番に強いという自覚はあったが、この天下一武道会において最高の状態。生地は確認もしていなかった、もはや何でも焼けるという自信しかなかった…忘れないで欲しい、早朝は失敗を恐れて眠れなかった男が6時間後に漢になった

 

STGの審査員はナポリ人の職人だけが審査する、窯横にはパシュクアーレ牧島、着席の3人の中には世界的に有名な職人のEnzo Coccia(エンツォコッチャ)もいた。彼は伝統的なナポリピッツァに科学と高品質な食材を取り入れたパイオニアで、伝統と現代を繋ぐ名匠。僕も尊敬する職人だった、ついてると思った。

アシスタントが僕の食材に難癖をつけてくる、オリーブオイルもトマトソースも原産国はイタリアなんだけど、どちらも日本の会社のPBだから、原産地の表記が日本語だけだった。こんな時にしっかりと相手を納得させる為にも、焼き上げるピッツァだけではなく、持ち込む食材に関してもイタリア語でしっかり説明できる準備は必要。準備、準備だ

生地の計量、260gでパス「perfetto

異なる環境で同じようにピッツァを焼くにはどうしたら良い?、僕は初めてのピッツェリアではストレスの無いようにいつもの環境にカスタマイズする。打ち粉が左なら右にする、強力粉ならセモリナ粉にする、トマトソースや具材の配置、オリーブオイルの場所、窯前が汚いなら綺麗に整える、火力が弱いと感じるなら調整する、戦いの場を整える。そうすれば心も自然と整う、あらゆる状況を想像力でもって想定し準備する。火力が弱いと感じた時の為に同じカテゴリーに参加する山根さんから杉薪も借りていた

14:00

競技開始

思ったより発酵は進んでいるがAsciutoで悪くない、糖分量は減ってるから少し強火が良いだろう、手前に薪一本。Vamos!さあ行こう

この時点で正直、イタリアンパセリをのせるかどうかは決めてなかった(笑)もちろん用意していたが明確な規定のあるSTGでイタリアンパセリをのせるのはリスクが大きいと感じていたのは事実

伸ばし始める、リズミカルに、楽器を奏でるように、タンバリンのリズムで、教えられたように、敬意を持って。

トマトソース、ニンニク、オレガノ、イタリアンパセリ、オリーブオイル…あれっ、右から左の流れで無意識にイタリアンパセリもトッピングしている僕がいた、全ては流れ、全ては運命、「ままよ」とパシュクアーレにパーラを要求するも。動かないパシュクアーレ…無言、アシスタントのイタリア人を見る、目を合わせない…無言

やっぱのせない方が良いかな、そうなんだろ?二人を見る…無言、イタリアンパセリを除く。師匠すいません(笑)

パーラがすっと伸びてきた

想定より長く作業台に置いた生地だけど、打ち粉は少なく丁寧にパーラへ、無事に狙った所へ着床

パシュクアーレの方が緊張してるのか、僕より前のめりに窯内を見てる。とりあえず縁の上がりを待つ。手練りの生地は素直に上がってくれるが炉床熱は少し低いようだ、リスクはあるが一番奥へと移動すべきかどうかを悩む(0.5秒ぐらい)焼き切れてないピッツァを奥に運ぶのは穴を開ける可能性もある、杉薪を入れて手前でゆっくりもあるけど、しっかり焼き切りたかった。奥へピッツァを移動する、そうこれまでずっとリスクがある方を選ぶ人生だった

狙ったのは僕が育った90年代のナポリピッツァ、縁は高め、大きすぎず小さすぎず、しっかり発酵させた生地を高温で焼くスタイル。エンツォと審査員にピッツァを持っていく

ペースを握る為にナポリ弁でまくしたてた、自己紹介、ピッツァの仕立て、修業先の師匠…

「あなたの出身は?」と聞かれたので「100%日本人だ」と答えた、笑い声、つかみはOK

正直に、イタリアンパセリのストーリーも語ったら、そんな話は知らないと言われた。そうだよなエンツォは俺の10歳年上、他の二人はもっと若い

試食前にエンツォが言ってくれた「ピッツェリアへの入り方、準備、所作が素晴らしかったよ」

「敬意の現れです」そう伝えた

 

翌日の表彰台からの景色を

僕は一生忘れないだろう

ゆっくりと、ゆっくりと一番高いところまで歩いて行った

これまでもゆっくりだったのだから、急ぐ必要などなかった

ナポリ人も日本人も、皆が笑顔で嬉しそうで、パシュクアーレも跳び跳ねてた

家族に感謝した、スタッフに感謝した、仲間に感謝した

ナポリと聖ジェンナーロに感謝した

第22回ナポリピッツァ職人世界選手権STG部門優勝

俺もナポリで漢になった

 

僕にとって大会とは記録に残すものではなく、人の記憶に残すものだった

受動的に動くのではなく能動的に

選択するのではなく掴み取るよな

そんなドキドキするよな瞬間だった

 

表彰台を降りると、満面の笑みで職人仲間のDavideが抱きついてきた

準備不足で優勝できるなんて思ってなかったと伝えたら

こう言われたんだ

「ヨッシィ、お前は26年間準備してきたじゃないか」ってね

 

”臆病な者ほど遠くに行ける”

YOSHIHISA OTSUBO~

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あるEssere ないNon ho

2023.10.05

コロナ過の3年を乗り越えて東京で今年14年目のタンブレッロ

ブログ書くの久しぶり、お湯かけて三分みたいなインスタントグラム(笑)という手っ取り早い表現が近くにあると…休日の午後に甘いチャイでも用意しないと、書くという表現に至れなかったりします

僕にとって書くはお料理と一緒で準備が必要

食材の準備というよりは気持ちの準備かな

何を書くではなく、ただ書くぞという決意

料理もさ、作るぞっていう決意じゃない?

文筆家ではないので言葉があふれてくるわけじゃないから

ただ心の音を聞いて言葉にしていくだけ

 

最近思うことなど

八重洲ブックセンターが閉業するというニュースを聞きました。地方出身者の僕にとっては、初めての土地で安心できる場所って本屋さんだったから、東京なら八重洲ブックセンター、新宿なら紀伊国屋書店だった。知識の宝庫を歩いていると、知らない町でも何だか知ったかぶりになれた

今、東京を歩いてると古い建物がどんどん壊されて無機質な商業ビルやホテルが、凄いスピードで建てられてく。街の個性や匂いが無くなって、入ってよい場所、入っちゃいけない場所の境界線が曖昧になって、代わりに人と人との境界線はより明確に線引きされていく。人はそれを多様性と呼ぶよね、平面的な街にある潜在的な相手への無関心を

利便性と何でもあるの街作りの中で、行っちゃいけない場所が無くなってく…

「ヨシ、あそこからあっちはね、絶対にいっちゃだめだよ」母さんが話してくれたそんな見えない街の境界線。そこを意志を持って越えていくのが大人への階段だった

 

サスティナブル、ビーガン、ナチュールワイン

概念が先走りした既存のものに対するカウンターカルチャーなのかな、当たり前のことが当たり前じゃなくなったから?豊かになって生まれた文化みたいなもの?僕には良くわからないのだけど、有るから産まれた過剰なようなものにも見える。それを否定はしないけど、無濾過の有機栽培ブドウを使ったワインを飲みながら、完全にビーガンで持続可能な生活を東京で現実化するには、お金も時間もエネルギーもかかる。近所のスーパーじゃ持続不可能

南インド料理屋で一緒に働いてたクマールさんはモスリムで、土から上の野菜しか食べれなかった。自分で作ったヨーグルトとひよこ豆にレンズ豆、毎日それを食べて幸せそうだった。食べるものに迷う必要など無かったし代替え肉など必要じゃなかった

徳川の世。あの時代の江戸じゃ当然農薬なんかなかったから、薪をくべて窯で炊いたご飯に、味噌汁、目刺しぐらいの慎ましい食事。長屋の共同体には境界なんか無くて、夜の営みだって筒抜けだったはず。元来、質素で季節の素材を楽しみ、有るよりも無いを楽しむ日本人だったのに、余白に何かを描き混むよりも、余白を楽しむような、助け合いと人情こそがこの日本の美徳だったのに

 

今の東京のコンビニは24時間、無いを補充しつ続けながら営業してる、余白を埋めながら。賞味期限は厳格で、食べられる食料は今日も大量に廃棄されてる。

この街は無いに応えようとして

この街にしか無かった駄菓子屋をコンビニにしてしまう

この街にしかなかった文化や景色が、大きな無いを叶える為に壊されていく

本当の有るはかけがいの無いものなのに、気が付かないで

ずっと見守ってくれた街の木々を切り倒す

子ども達を見守ってたタバコ屋のおばちゃんはもういない

 

人不足と言いながら、どんどんと作られていく商業施設内の飲食店

サステイナブルと言いながら食材を大量廃棄する企業

東京のタワマンの上から「やっぱりワインは自然派だね」とつぶやく地方出身者

自分達のオリジナルや期限や文化を忘れて

既製品や賞味期限や見栄えの良い文化に溺れてる日本人

 

きっと僕もその一人だから

現実を大きく変えることは出来ないけど

出会った人とのご縁の中で”何か”を伝えていくことは出来るのかしら

目の前の有る(essere)の豊かさに感謝して、持って無い(Non ho)に固執することない人生ならきっと

目の前の名の無い花も砂漠に咲く幻の花のようにかけがいの無いもになる

羊を食べるモンゴルやアザラシを食べるエスキモーの人たちの

純真な眼を見た時に感じたんです

 

”そこにあるものを食べる”

 

羊を食べることは、羊が食べた草を食べること、草を育てた水をいただくこと

アザラシを食べることは、アザラシが食べた海藻を食べること、海藻を育てた海をいただくこと

目の前の有るに感謝を忘れずに、自分もその地球の循環の一部になり生き物をいただく

何を食べるかに迷いがなくて

足るを知る人達は幸せだと思います

 

イタリアは先進国です、モンゴルやアラスカとは違います

食材も豊かで、お料理は地方色にあふれ、色とりどりに鮮やか、彼らは一日中イタリア料理を食べる

 

朝は和定食を食べて、お昼はイタリアン、夜は韓国料理な日本人

世界一の美食の街と言われる東京、世界一雑食の日本人

 

家族とマンマの料理を食べ

友達とピッツァエリアに行き

恋人とリストランテに行く

春夏秋冬、季節のお料理があり、旬の食材がある

食べるものに迷いがない国イタリアの

人々の目もやはり純真

 

 

東京の外食は過剰だと思うし大手主導で行われる街の開発には疑問しかありません。

飲食店をランキングすることで産まれる、価値基準のグローバル化は、自ら選択する審美眼を愚鈍にし、これから飲食店を目指す若者の方向性まで決めてしまう。

自分で歩いて感じた小さな世界の総体が世界であること

多様性を容認するこの世界への感謝を忘れないこと

そんなことを

築70年の古いビルの

小さなピザ屋で考えてる

 

Essere有るは、この世の存在みたいなもの

Non hoはもってないって意味

地球のリズムで、生きていれば

自分の持っていないなんて取るに足らないことだから、欲しがらず、求めず

あなたが持っているものを大事にしてね

あなたはもう、こんなに豊かなのだから

そんな思いをピッツァに込めて

愛を込めて

14年目も窯に薪をくべるのです

ゆっくりと遠くへ

 

大坪

 

 

 

 

 

 

 

忘れない

2022.12.14

大坪さんの空は

いつも建物の間から見える空ばかり

 

ナポリから帰国後そう言われて見返したら

どの写真の空も見上げた建物から覗く青空

 

ナポリじゃ海沿か高台に行かなきゃ

コバルトブルーの海も、広い空も、カプリ島も見えない

街中の暗がりから見上げる空は

何時だって器用に切り取られてる

 

有ると無いが溢れてる街

教会の中にいるように、母親の胎内にいるように

有限の中で無限を思う時

この街では誰も死なない

ピーノダニエレも

エドゥアルドも

トトも

 

「人が死ぬのは忘れられたときなんだ

忘れさえしなきゃ、肉体がどっかに行くだけ」

 

“忘れない”

街中の祠にマリア様と一緒に貼られた無数の写真

お母さん、お父さん、ジャンニ、アンナ、飼い犬の写真も

小さい共同体で

カルティエーレで

街で

故人の魂は、想う人の心の中で生きている

“忘れない”

 

久し振りのVia Giustiano

モンテサントの市場を抜けてクマーナ線で1駅

PIAVEで降りたら改札を抜けて右折

50メートルも歩けば大きなショーケースが見えてくるよ

“PIZZERIA E ROSTICCERIA

PIZZE e PIZZE”

歳78の師匠ジェンナーロは相変わらず昨日会ったかのように

迎えてくれる「何年ぶりだっけヨシ?」って聞きながら(笑)

次男のリーノ、孫のジェンナーロ(大体孫はお祖父ちゃんの名前)、奥さんのカルメッラ、圧倒的に持続可能な家族経営❗

挨拶もそこそこに腹減ってるだろって

グラッファ(ナポリ風のジャガイモをいれたドーナッツね)をすすめてくる、

 

師匠:ウマイか?ヨシ

►ウマイよ、変わらないね

師:変えとらんからな~

►これからもね

師:レシピ教えたっけ?

►あなたのレシピで作ってるよ

師:そか、皆喜ぶやろ

►食べたことないって言われる

師:せやろ(どや顔)

 

行く度ににこのやり取りをする

新喜劇のようなお決まりの挨拶

これもひとつの“忘れない”なんだ

 

下町フォルチェッラを歩けばそこかしこに

彼がいる

Diego Armando Maradona

「マラドーナは60歳で亡くなったが、120年分生きたって言って良いほど刺激的な人生だった」ある人が言うけど

この街じゃ永遠を生きてる

~✴️ブルボン朝ナポリ王国の絢爛たる文化は統一後の北による徹底的な収奪によって衰退した。ナポリ王国の菓子·料理技法や服飾技術は他州また他国に継承され「イタリア」文化の要となって生きつ続けたが、土地から離れることができないワインは王国と運命をともにするしかなかった~「ワイナート33号」より抜粋

 

地場品種であるアリアニコとフィアーノで北からカンパーニャの尊厳を取り戻したワイナリーあのマストロベラルディーノの様に

ディエゴはサッカーボール1つでナポリにナポリ人であることの尊厳を取り戻し、その地域性を守ってきた。30年以上優勝してないリーグ戦だけど、良いじゃない。

だって語り継ぐべき

“忘れない”があるのだから

今日もディエゴの魂は想い人のなかを漂って

ナポリの空を覆ってる

だから皆、俯く代わりに切り取られた空を見上げる

 

出発の前にジェンナーロに挨拶

 

師匠:次は何時来るんや?

►来年かな、クリスマスには電話するよ

師:揚げピッツァの生地はどうしてる?

►教えてもらったようにやってるよ

師:そか、皆喜ぶやろ?

►ああ、凄くね(笑)

何度も同じやりとり

心地よい言葉のキャッチボール

 

別れ際、いつもふざけてるリーノが

真面目な顔して目を見て言ってくれたんだ

 

YOSHI

Non dimenticare!

Noi ti vogliamo bene,

perche,sei bravo persona.

 

ヨシ

忘れないでくれ、

どうして俺たちがお前を大切だと思っているか

だってお前は

いい奴だからさ

 

“忘れない”さ

 

 

 

おおつぼ

静かなる暴走

2022.09.26

あと一週間で10月って日曜日の夕方

暑さが和らぎ鈴虫さんの鳴き声も聞こえると

自然と心が優しくなるね

 

誰かの幸せが自分の幸せだと感じることが飲食店の根本です

喜んでほしいという気持ち

笑顔になって欲しいという想い

それを具体化するのは

思いやりという名の想像力

僕は思いやりって多用な在り方を認めることだと思ってる

でも世の中が言う多様性って、道端に倒れてるオッサンを見てみぬフリするこの国の無関心と紙一重

「あーあなたはそうなのね、素晴らしいわ、世界は多様だからね、そう、良いと思うわ、あなたらしく生きなさい。その代わりあたしも勝手にするからあたしのことは放っておいてね」

みたいな

 

多様を認めるってことは、自分が見てる景色を360度から俯瞰するのと一緒で、自分の見えていない裏側の景色もイメージして可視化すること

そもそも裏側はどうなってんだ

真上からみたらどうなんだよあんた

未知なるものへの興味関心、知ることへの

原初的衝動

いつから、こんなに無関心な世の中に

なってしまったのかな

 

多様な思考、多様な嗜好に対応できちゃう街、東京

だから皆、試行停止、選択すれば良いだけ

試す、チャレンジ、やってみる、行ってみる

至高への道はまさに試行錯誤な訳で

 

縦割りのランキングとSNSはうっちゃって

目の前の二度とない今に感謝を込めて眺めたら

昨日とは違う、多様で素晴らしい毎日がある

 

ご来店されたお客様がお店のドアを開けるまでの物語を思う想像力、期待されている何かを捉える心眼は毎日のやりとりの中でしか養えないもの

一枚のピッツァの前にヒエラルキーがないように

あらゆる多用なお客様を笑顔にする秘訣は、

イマジネーションと経験

圧倒的な想像力でもって思いやること

自分の経験しかベースにできないなら、沢山弦をきって、血を流したら良い、悔しさと怒りは忘れちゃいけないよ

多様な食材を一枚のピッツァに表現する職人の技もまた食材と生産者への思いやりと、創造力と経験でしかないのだから

 

この世界は愛されてるって気持ちで回ってるから

大好きだって伝えよう

お前が必要だと目を見て話そう

大切なんだと丁寧に言葉にしてみよう

そこから今日を始めてみるのは素敵なことだから

静かなる暴走

好きなこと

好きな人のために

大好きなことしながら

 

おおつぼ

 

 

 

真っすぐ生きてきれいに死ぬ

愛するものを愛し続け

出来たら途中でたくさん

笑える場面があればよい

出来たら途中でたくさん

感動できたらなおさらいいぜ

 

~「Beautiful Death」~

浅井健一&The Interchange Kills

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ナポリ ローマ ふくしま オールナイトロング

2022.07.18

2022年7月濃厚接触者とあいなりました

昔話しながら最近思うことなど

ブログ久しぶりすぎてすいません

 

23歳、ナポリ

旅行資金もそろそろ寂しくなって

ナポリ人のアニメオタクに日本語を教えるアルバイトだけじゃ心もとないってことで、

ローマの日本料理屋さんに出稼ぎすることになった1995年秋

 

初めての✨ローマ

一番安い鈍行でローマテルミニ駅前

当時は5時間ぐらいかかった

駅前の広場には

北から南までのイタリア人、

南米系にスリランカ、

東欧の金髪娘

身を潜めてうかがってるロマ(ジプシー)の群れ

雑踏と多様性の中に立ってると

自分が何者でもなくなって

自然と何者かになる気持ちよさがあった

 

ナポリって冷蔵庫みたいな街って思ってた

この中にある食材で料理しなあさいって言われてるみたいな

居心地良いんだよ、

疑問や新しい何かを求めなきゃね

シンプルで変わらない料理がベースにあって

変わらない生き方のベースがあるから

発想と対応があんなに豊かで

皆放っておいてくれないんだ

 

何を食べるかと

どう生きるかに悩まなくて良いってさ

公園で遊ぶ子供の純真さと一緒

 

彼らは毎日おなじものを食べて

同じ人と会い

同じ話をする

住んでる街は大都会なのに

農村に住んでるかのような人とのつきあい方

だから街行く東洋人にも興味津々

ナポリではひとりっだって感じることは無かった

ナポリには

「誰1人おいてかない」っていう

連帯精神があふれてる

 

僕はそれを、自分の故郷会津若松にあった

寄合に似てるなって思う

無尽“~無を尽くすと書く

ただ単純に困ってる相手が喜んでもらえることがお互いにとって幸せだというだけ。その為なら少しの時間やお金を犠牲にしても惜しくはない、売上の少ない誰かや困ってるだれかの為に、無尽という寄合があった

 

 

 

でも

ローマはでかい市場みたいで

食材は冷蔵庫にはいりきらないほどあふれていて

料理法も自分で選択してく

生き方もね、

人の事より自分のこと

Non me ne frega,Fai cazzi tuoi!

“気にしないよ、好きにしな”

そう言われてるみたい

観光客が多すぎるのか

誰も東洋人には興味なし

クールで冷たいロマーノ

 

テルミニ駅前の地元客で賑わう朝のバール

この界隈じゃ誰が地元かなんてわかりやしないけど

まあイタリア人ばっかり

無駄口ひとつなく朝の喧騒をさばいていくバールマン

見ないように全部見てる完璧な所作

ローマ近郊から出勤してくる客が多いのか

昨夜のローマダービー、

客の話はもっぱらラツィオ側

テヴェレ川を越えたらまた違う風景

そこにはローマ人が住むローマがある

 

コルネットにコーヒー

「砂糖は?」

Zuccheerato(砂糖入り)でお願い

「コルネット?」

Cicculata(チョコレート)で

 

寡黙だったバールマンが振り返る

ナポリのアクセントで話す謎の東洋人に

苦笑しながら言う

「Allora sei napoltanizzato!」

おい若いの、ナポリ化しちまったのかい?

優しさと親しみに溢れた彼のアクセントは

生粋のナポリ訛りで

ローマ初日、

ここでも

僕は一人じゃなかった

 

今、極東最前線でナポリピッツァを焼いてる自分は

北米に移民したナポリ人の気持ちを想う

移民達が持ち込んだ郷愁のソウルフード、ピッツァ

僕も短い経験しかないけど

ソウルフードってさ

産まれた彼の地を想うことじゃない

僕の感動が産まれた土地を想い

共感を通して皆様と

繋がっていけたらなと思ってます

Napolitanizzzato

今僕にとってナポリ人みたいに振る舞うってことは

誰かのために時間や気持ちを割くことができること

自己中心的と言われるけど(笑)

自分のことを真剣に思えなくて

他者を想うことができるかね?

 

こんな時代だがら

あと何年生きるか知らねけど

出会ったことにありがとって

優しさと好奇心でもって

世界と関わっていきたい

 

「誰1人おいてかない」

タンブレッロに溢れる連帯精神です

LOVE &PEACE

50歳にもなると使い古された詞がしっくりくる

 

サンボマスター山口君は同郷

何かを伝えるのに魂かけるって凄いこと

会津の男は熱いんだぜ(笑)

 

おおつぼ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こころに花を

2022.04.10

国際女性デー

ウクライナ

キエフのスーパー

男性が女性に贈る花を求めて

列をなしてた

花と銃

 

そこにある美しいものを

美しいと感じるのは

立ち止まり

見上げる

心があるからだと思う

 

逃げまどい

追い詰められ

憎しみと恐怖に心が支配されたら

咲き誇る満開の桜道も

ただの避難路

 

善人顔して近寄ってくる

悪いひとたちは

いつも銃を持ってるわけじゃないから

 

 

心に花を

 

 

 

 

日本橋の小さなピザ屋から

ピースマークを送るぜ

 

この素晴らしき世界へ

 

おおつぼ

 

 

 

Fai sempre quello che ti dice il cuore

2022.02.13

不肖大坪、先日50歳になりました

「人間五十年下天の内をくらぶれば、無幻のごとくなり」

桶狭間に向かう信長の舞の如く

悠久の時に身を委ねれば人間の人生なんて夢幻

 

もう怖いものなどありません(笑)

街には

微かに見えてきた灯りに暖をとる人々、

明けない夜が無いことに

改めて感謝しながら

毎日精一杯生きてやる

50歳の決意表明

 

日本橋の小伝馬町にある小さなピザ屋

冬の夜の暗がりの中で今夜もポツンと営業してます

商業施設も何もないこの場所に人が集まってくる

若いカップル、家族連れ、老若男女に異国の方々

お客様がタンブレッロに至る物語は様々で

その物語の一つ一つが僕は愛しい

あなたもブラッド·ピットも女王陛下も皆

ピッツァの前では平等

 

タンブレッロでピッツァを作るって

僕の感動を伝えることだと思ってます

僕はイタリアに感動して、この仕事を生業としてる

だからお客様に提供するものは

イタリアの匂いや、空気、音までも

一緒に伝えたいなって思う

 

地産地消、地方料理の集合がイタリア料理ならば

国産の食材で表現することは決して間違いじゃない

でも僕は九州や北海道の小麦粉は使いません

椎茸や筍も国産のフレッシュモッツァレラチーズも

使わない

全部使ったことがあるから言ってます

美味しいのも、知ってる

でもね僕がピッツァを作るときの現在地は

いつもイタリア

 

僕より美味しいピッツァを作る職人さんは沢山います

でも自分にしか表現できないピッツァはある

それで良いって思うんだ

拘りや蘊蓄は鼻かんで捨てちまえば良い

難しそうにピッツァは焼きたくない

そんな職人ナポリにいなかったもん

なんか美味しいの焼いてくれる

イタリア好きなオジサン

それぐらいが調度良いかなって

力も抜けて少し柔軟になった僕は

最近良く笑う

 

 

世界的なコンテナ不足、輸送コストの値上げで、イタリア産の食材は高騰中!

ピエモンテの豚コレラの影響で今後何年もイタリアからのプロシュットやサラメは使えなくなるかもしれない

今後、日本でナポリピッツァを表現しいていくには国産の食材やアメリカ、ハンガリー産の生ハムを使わなきゃいけなくなるかも..

 

でもさ

 

今までもさ

 

これからもなんだけどさ

 

ぼくの仕事は加工業だと思ってる

イタリアの各地からタンブレッロに至る食材の道があって

全ての道はローマに通ずじゃないけど

タンブレッロに来る全ての食材にはそれぞれの物語りがある

イタリアからの食材には、

生産者の、

加工する人の、

それを運ぶ人の、

そしてその土地の匂い、空気、おしゃべり、潮の香り、太陽の熱、体臭っだったり、その日食べたかもしれない昼食のパニーノの残像とか、雑踏を行くスクーターの騒音だって聞こえることがある

僕はそういうイタリアの景色を

自分の経験と知識と愛情で

加工して表現してる

スパイスはいつも感動

 

イタリアが好きで

ナポリが好きで

ピッツァ職人になった

伝えたいものは、料理を包む包装紙の文化だったり(笑)

職人の手仕事の後ろにあるロザリオとマラドーナだったり

路地裏で残り物のピッツァを食べるナポレターノな野良犬の滑稽さだったり

素朴な料理をベースにしたナポリとナポリ人の大袈裟な人生だったり

ピッツェリアの煤けた黄色い壁紙の色だったりする

 

だから食材にはイタリアを感じていたいし

イタリアに無いものは作らない

フュージョンやクレアティーヴァ

それは他の人がやれば良い

Dal’ Italia via tamburello

イタリアから

タンブレッロで乗り換えて

お客様まで道は真っ直ぐ続いてる

 

 

ナポリ日本橋オールナイトロング

イタリア、ナポリ行き片道切符

マリナーラ1200円

 

 

 

情熱を持って

ロマンティックは止めずに

これからも伝えて参ります

 

“Faccio sempre quello che mi dice cuore”

僕の心の言うままに

“Fai sempre quello che ti dice cuore”

あなたの心の言うままに

 

大坪善久

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

変わらないものへ

2022.01.03

~2021年クリスマス~

 

コロナを通して

世界は改めて取り戻したんだと思う

本当に大切で特別なこと

本当に大切な特別な人

 

街には

マライアキャリーに

“I don’t  want a lot for Christmas

クリスマスに多くは望んでないわ“

ワム!

I’ll give it to someone special (special)

今年は、特別な人にだけ、それをあげるつもり“

山下達郎さんも

Silent night ,Holy night

 

帰ってきた(笑)

 

「変わりゆく世界の中で 

僕は変わらない何かを作りたい」

そう思って11年やってきたけど

クリスマスが1か月前から予約で満席だなんて

昨年が初めてだった

小伝馬町の小さなピザ屋にドリーム感はありません

でもね

変わらないねタンブレッロはと言ってもらう為に

本当に変わらない大きな意思の為に

小さな決定を沢山してきました

だから選んでもらえてるのには

理由があるんだ

そんな自信もついた

 

ありがとうございます

 

 

 

~2022年1月~

 

沢山変えてきたから

自分は変わらないって

胸はって言えるんだ

 

日々の努力や拘りは

奢らず、語らず、押し付けず

只、誇れば良いと思うから

これからも時代と共にさらりと変容していけたら良いな

 

今年の冬は寒くて長いから

アツアアツのピッッツァと

揚げたてのフリッットに

冷えた白ワインで

大切な人とタンブレッロで旅情を味わって欲しい

作りたい景色は自分で作る

 

こんんな時代だからこそ

飲食店が出来ることは多い思うんだ

 

 

今年も宜しくお願い致します

 

 

 

 

 

「世界は変わったけれど私は変わらないの

だって毎日を大切に生きてるから…..

でも明日のことぐらいは分かってる

明日もまた精一杯生きてやるって」

 

 

PIZZERIA IL TAMBURELLO

YOSHIHISA OTSUBO

 

 

 

 

Si sente la pizza 信頼という絆

2021.10.25

Via gino doria 81 Napoli

La spaghettata

 

また電話がなる

アドルフォは朝から喋りっぱなしで

サルバトーレは愚痴りっぱなし

「Questo sabato?今週の土曜かい?構わないよ日本人で良ければ」

アドルフォ今度はどこに行けば良いんだい

 

師匠は当時ナポリピッツァ職人協会の副会長だった

毎日色んなとこから相談が舞い込んできてた

どこかのピッツェリアで?職人がいないってなるとペペかアウレリオが派遣されてた

二人が駄目ってなあると

ジャポネーゼの出番

日本人でも良いってとこはホテルやレストラン併設の職人の顔が見えないピッツェリアが多かった。。ほら東洋人が焼いてるって、ナポリ人は嫌がるからね

「あんたイタリア人が握る寿司は好きかい?」

 

こんな経験はなかなかあ出来ないよ

だってね

当日指定されたとこ行くじゃん

市内だったり、ナポリ近郊だったり

前情報無し、いっさいがっさいアバウト(笑)

その日の生地はあったり、無かったり

食材もあったりなかったり

上手くいく日もあれば

そうでない日も

正に対応力勝負

 

先ずは

冷蔵庫空けるとこから始める(笑)

家庭の主婦状態

そっから店と話して段取り決めて

進めてく

人や職人の面白さって、どんだけイレギュラーを拾ってこれたかだと思うの

そんな経験の礎があると、世の中はワクワクで溢れてくるでしょ

自信がないと世界は恐怖で溢れてくる

自信があれば世界は毎日不思議発見

でも過信がある人の世界は小さい

 

コロナ渦で内へ内へと向かう意識は

僕の内なる世界や記憶の断片を取り戻してくれました

忘れかけてた大切なこと

イレギュラーな世界でワクワクを感じること

ドキドキすること

知らない場所に旅するってこと

 

派遣されたホテルの従業員が厨房に入ってくる

「Nakata!今夜のピッツァは最高だって皆言ってる」

当時、日本人は皆Nakataと呼ばれた

疑念が信頼に変わると

ナポリ人は徹底的に信用してくれる

カメチエーレが言う

「mi raccomando una pizza per me!

後でピッツァを一枚宜しく」

こうなると店が歌い出す

客の笑顔とおしゃべり

カメリエーレの怒号とジョーク

キッチンの熱、焼き上がるピッツァ

ニンニクとバジリコの香り

お客様とお店、スタッフ間に信頼が産まれた時

愛に包まれて店が嬉しそうに歌い出す

それを僕は幸せと呼ぶ

こういう経験をするとね

レストランの仕事は辞めれなくなるんだ

辛いこと

泣きたい夜の方が多いけど

ナポリでこの歌を聞いてから

僕はずっとここにいる

 

僕のピッツァを食べたカメリエーレが言ったんだ

「Yoshi,si sente la pizza

ヨシ、ピッツァを感じるぜ」

最高の誉め言葉だろ

 

自信は経験からしか作られない

過信は無知からしか生まれない

不安はあんたが未経験なだけ

 

これからの時代

胸はって生きたいんだ

多少の自信も50年でついたし

ワクワクはあの時のまま

知らない明日はいつだって未知なる冒険

だから

今日も精一杯生きようって思う

 

アドルフォが電話に出る

「ヨシ、この前のホテルがまた来てくれって言ってる

Hai messo supumante dint’a pasta?

生地にスプマンテでもいれたのかい?」

 

こうして信頼“Fiducia゛の絆が出来上がるんだ

 

僕はこれからの時代も

タンブレッロが奏でる歌を聴いていたい

 

YOSHIHISA  OTSUBO

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ピザ生地からパン粉まで

2021.08.24

ワクチン接種2回目終了

経過観察中、時間があるんで

ちょっとした生地の物語をひとつ

 

 

イタリア生まれのナポリ育ち

長時間発酵で強さを発揮するカプートって強力粉

ミネラルたっぷりシチリアはトラパニの海塩

生イースト

日本橋の水道水

タンブレッロの生地はこれだけでできてます

カラブリアじゃジャガイモも入れたし

砂糖だ油脂だと足すのは簡単だけど

何も引けない

これ以上は引けないミニマムな原料だから

イースト量も水温も大事になる

塩分量も室温も大事になる

もちろん湿度や室温も

我が子のように大事に作ってる

愛する人に触れるように

優しく扱っている

 

僕は朝も夜も同じ生地を扱います

お前さんの彼女に朝と夜の顔があるように(笑)

生地も表情を変える

薄化粧の女性がスッピンとのギャップが少ないように

生地の表情をできるだけ調えるのは低(薄)イースト

栄養が少ない方がしなやかに、ゆっくりと老いていくの

 

ピッツァ生地として産まれたからには

立派なピッツァマルゲリータや

シンプルで渋いマリナーラ、

蜂蜜でドレスアップしたクアトロフォルマッジオになって

あのポーランド娘をメロメロにしたる

そんな妄想をイーストで膨らましながら生地達は番重の中で発酵してる

 

でもさ

ピッツァとして生涯を終えることが出来る生地もいれば

もはやこれまでとイースト発効の臨界点でピッツァになる人生を諦める生地もいる

しかーし、しかーしだよ

野球選手になれなかったら人生終わりか?

K2登頂出来なかった者は敗者か、

愛しいあの娘に降られた夜に人世は終わるのかい?

ただ海を見ていたジョニーは人世の敗者か、

 

嘘をつく奴は嫌いだ

陰で人の悪口を言う奴も嫌いです

物を盗む奴

出来ない理由を探す男も嫌いだ

同じ理由で

生地を捨てる奴嫌い

 

当店でピッツァになれなかった生地達の熱い思いは語り継がれる

語り部は職人

パニーニ、

フォカッチャ、

パン

タンブレッロの低イースト発酵で育った生地達

厳しい環境で育った生命力は

4,5日経っても残りわずかな糖分で皆冷蔵庫内で生きている。

再生への道は職人の腕の見せ処

翌日ぐらいの生地はフレッシュな生地にくっつけて使うと、熟成された旨味が乗っかって味わい深くなる

二日目からはパニーニ用のパンやフォカッチャになる、もともとグルテンを出さないように練った生地はこの頃になると火の力に素直で外側のパリッと感は、ハンパないっす先輩

 

 

 

 

三日目から四日目、冷蔵庫の底にある生地の最後は窯焼きパン

一キロ位の塊にしたらグイグイ巻き込んでいく、死んでいたはずの生地に新しい空気が入って、残り少ない糖分でもう一度イースト活性するんだ。本当だよ、薪窯で焼かれたパンは香ばしく武骨で男らしい

 

 

 

 

 

戦場で死ねなかった武士の最期の勇姿とでも申しましょうか、お売りすることは出来ません……何故ってお嬢さん

「これパン粉にするんですから❗」

 

 

 

「うちはただのピザ屋じゃありません、フリッジトーリア(揚げ物屋)って看板掲げてますからね、っそりゃパン粉だって自家製ですよ」

ピッツァ生地として産まれたがサラサラ流れる小川みたい、最後はパン粉として終わる人生も悪くないさね

ピッツァ生地の塩味がのった自家製のパン粉がコロッケやパルミジャーナを美味しくしてくれるのです

 

言いたかったのはね

コロナ渦で、敗者か勝者かなんて馬鹿げてるってこと

皆が誰かの何かの役に立っている

ピザ生地からパン粉まで

捨てる人生なんて世の中に無いわ

 

 

残暑厳しいね

お身体ご自愛ください

 

YOSHIHISA OTSUBO