2022.12.14
大坪さんの空は
いつも建物の間から見える空ばかり
ナポリから帰国後そう言われて見返したら
どの写真の空も見上げた建物から覗く青空
ナポリじゃ海沿か高台に行かなきゃ
コバルトブルーの海も、広い空も、カプリ島も見えない
街中の暗がりから見上げる空は
何時だって器用に切り取られてる
有ると無いが溢れてる街
教会の中にいるように、母親の胎内にいるように
有限の中で無限を思う時
この街では誰も死なない
ピーノダニエレも
エドゥアルドも
トトも
「人が死ぬのは忘れられたときなんだ
忘れさえしなきゃ、肉体がどっかに行くだけ」
“忘れない”
街中の祠にマリア様と一緒に貼られた無数の写真
お母さん、お父さん、ジャンニ、アンナ、飼い犬の写真も
小さい共同体で
カルティエーレで
街で
故人の魂は、想う人の心の中で生きている
“忘れない”
久し振りのVia Giustiano
モンテサントの市場を抜けてクマーナ線で1駅
PIAVEで降りたら改札を抜けて右折
50メートルも歩けば大きなショーケースが見えてくるよ
“PIZZERIA E ROSTICCERIA
PIZZE e PIZZE”
歳78の師匠ジェンナーロは相変わらず昨日会ったかのように
迎えてくれる「何年ぶりだっけヨシ?」って聞きながら(笑)
次男のリーノ、孫のジェンナーロ(大体孫はお祖父ちゃんの名前)、奥さんのカルメッラ、圧倒的に持続可能な家族経営❗
挨拶もそこそこに腹減ってるだろって
グラッファ(ナポリ風のジャガイモをいれたドーナッツね)をすすめてくる、
師匠:ウマイか?ヨシ
►ウマイよ、変わらないね
師:変えとらんからな~
►これからもね
師:レシピ教えたっけ?
►あなたのレシピで作ってるよ
師:そか、皆喜ぶやろ
►食べたことないって言われる
師:せやろ(どや顔)
行く度ににこのやり取りをする
新喜劇のようなお決まりの挨拶
これもひとつの“忘れない”なんだ
下町フォルチェッラを歩けばそこかしこに
彼がいる
Diego Armando Maradona
「マラドーナは60歳で亡くなったが、120年分生きたって言って良いほど刺激的な人生だった」ある人が言うけど
この街じゃ永遠を生きてる
~✴️ブルボン朝ナポリ王国の絢爛たる文化は統一後の北による徹底的な収奪によって衰退した。ナポリ王国の菓子·料理技法や服飾技術は他州また他国に継承され「イタリア」文化の要となって生きつ続けたが、土地から離れることができないワインは王国と運命をともにするしかなかった~「ワイナート33号」より抜粋
地場品種であるアリアニコとフィアーノで北からカンパーニャの尊厳を取り戻したワイナリーあのマストロベラルディーノの様に
ディエゴはサッカーボール1つでナポリにナポリ人であることの尊厳を取り戻し、その地域性を守ってきた。30年以上優勝してないリーグ戦だけど、良いじゃない。
だって語り継ぐべき
“忘れない”があるのだから
今日もディエゴの魂は想い人のなかを漂って
ナポリの空を覆ってる
だから皆、俯く代わりに切り取られた空を見上げる
出発の前にジェンナーロに挨拶
師匠:次は何時来るんや?
►来年かな、クリスマスには電話するよ
師:揚げピッツァの生地はどうしてる?
►教えてもらったようにやってるよ
師:そか、皆喜ぶやろ?
►ああ、凄くね(笑)
何度も同じやりとり
心地よい言葉のキャッチボール
別れ際、いつもふざけてるリーノが
真面目な顔して目を見て言ってくれたんだ
YOSHI
Non dimenticare!
Noi ti vogliamo bene,
perche,sei bravo persona.
ヨシ
忘れないでくれ、
どうして俺たちがお前を大切だと思っているか
だってお前は
いい奴だからさ
“忘れない”さ
VIDEO
おおつぼ
2022.09.26
あと一週間で10月って日曜日の夕方
暑さが和らぎ鈴虫さんの鳴き声も聞こえると
自然と心が優しくなるね
誰かの幸せが自分の幸せだと感じることが飲食店の根本です
喜んでほしいという気持ち
笑顔になって欲しいという想い
それを具体化するのは
思いやりという名の想像力
僕は思いやりって多用な在り方を認めることだと思ってる
でも世の中が言う多様性って、道端に倒れてるオッサンを見てみぬフリするこの国の無関心と紙一重
「あーあなたはそうなのね、素晴らしいわ、世界は多様だからね、そう、良いと思うわ、あなたらしく生きなさい。その代わりあたしも勝手にするからあたしのことは放っておいてね」
みたいな
多様を認めるってことは、自分が見てる景色を360度から俯瞰するのと一緒で、自分の見えていない裏側の景色もイメージして可視化すること
そもそも裏側はどうなってんだ
真上からみたらどうなんだよあんた
未知なるものへの興味関心、知ることへの
原初的衝動
いつから、こんなに無関心な世の中に
なってしまったのかな
多様な思考、多様な嗜好に対応できちゃう街、東京
だから皆、試行停止、選択すれば良いだけ
試す、チャレンジ、やってみる、行ってみる
至高への道はまさに試行錯誤な訳で
縦割りのランキングとSNSはうっちゃって
目の前の二度とない今に感謝を込めて眺めたら
昨日とは違う、多様で素晴らしい毎日がある
ご来店されたお客様がお店のドアを開けるまでの物語を思う想像力、期待されている何かを捉える心眼は毎日のやりとりの中でしか養えないもの
一枚のピッツァの前にヒエラルキーがないように
あらゆる多用なお客様を笑顔にする秘訣は、
イマジネーションと経験
圧倒的な想像力でもって思いやること
自分の経験しかベースにできないなら、沢山弦をきって、血を流したら良い、悔しさと怒りは忘れちゃいけないよ
多様な食材を一枚のピッツァに表現する職人の技もまた食材と生産者への思いやりと、創造力と経験でしかないのだから
この世界は愛されてるって気持ちで回ってるから
大好きだって伝えよう
お前が必要だと目を見て話そう
大切なんだと丁寧に言葉にしてみよう
そこから今日を始めてみるのは素敵なことだから
静かなる暴走
好きなこと
好きな人のために
大好きなことしながら
おおつぼ
VIDEO
真っすぐ生きてきれいに死ぬ
愛するものを愛し続け
出来たら途中でたくさん
笑える場面があればよい
出来たら途中でたくさん
感動できたらなおさらいいぜ
~「Beautiful Death」~
浅井健一&The Interchange Kills
2022.07.18
2022年7月濃厚接触者とあいなりました
昔話しながら最近思うことなど
ブログ久しぶりすぎてすいません
23歳、ナポリ
旅行資金もそろそろ寂しくなって
ナポリ人のアニメオタクに日本語を教えるアルバイトだけじゃ心もとないってことで、
ローマの日本料理屋さんに出稼ぎすることになった1995年秋
初めての✨ローマ
一番安い鈍行でローマテルミニ駅前
当時は5時間ぐらいかかった
駅前の広場には
北から南までのイタリア人、
南米系にスリランカ、
東欧の金髪娘
身を潜めてうかがってるロマ(ジプシー)の群れ
雑踏と多様性の中に立ってると
自分が何者でもなくなって
自然と何者かになる気持ちよさがあった
ナポリって冷蔵庫みたいな街って思ってた
この中にある食材で料理しなあさいって言われてるみたいな
居心地良いんだよ、
疑問や新しい何かを求めなきゃね
シンプルで変わらない料理がベースにあって
変わらない生き方のベースがあるから
発想と対応があんなに豊かで
皆放っておいてくれないんだ
何を食べるかと
どう生きるかに悩まなくて良いってさ
公園で遊ぶ子供の純真さと一緒
彼らは毎日おなじものを食べて
同じ人と会い
同じ話をする
住んでる街は大都会なのに
農村に住んでるかのような人とのつきあい方
だから街行く東洋人にも興味津々
ナポリではひとりっだって感じることは無かった
ナポリには
「誰1人おいてかない」っていう
連帯精神があふれてる
僕はそれを、自分の故郷会津若松にあった
寄合に似てるなって思う
“無尽 “~無を尽くすと書く
ただ単純に困ってる相手が喜んでもらえることがお互いにとって幸せだというだけ。その為なら少しの時間やお金を犠牲にしても惜しくはない、売上の少ない誰かや困ってるだれかの為に、無尽という寄合があった
でも
ローマはでかい市場みたいで
食材は冷蔵庫にはいりきらないほどあふれていて
料理法も自分で選択してく
生き方もね、
人の事より自分のこと
Non me ne frega,Fai cazzi tuoi!
“気にしないよ、好きにしな”
そう言われてるみたい
観光客が多すぎるのか
誰も東洋人には興味なし
クールで冷たいロマーノ
テルミニ駅前の地元客で賑わう朝のバール
この界隈じゃ誰が地元かなんてわかりやしないけど
まあイタリア人ばっかり
無駄口ひとつなく朝の喧騒をさばいていくバールマン
見ないように全部見てる完璧な所作
ローマ近郊から出勤してくる客が多いのか
昨夜のローマダービー、
客の話はもっぱらラツィオ側
テヴェレ川を越えたらまた違う風景
そこにはローマ人が住むローマがある
コルネットにコーヒー
「砂糖は?」
Zuccheerato (砂糖入り)でお願い
「コルネット?」
Cicculata (チョコレート)で
寡黙だったバールマンが振り返る
ナポリのアクセントで話す謎の東洋人に
苦笑しながら言う
「Allora sei napoltanizzato!」
おい若いの、ナポリ化しちまったのかい?
優しさと親しみに溢れた彼のアクセントは
生粋のナポリ訛りで
ローマ初日、
ここでも
僕は一人じゃなかった
今、極東最前線でナポリピッツァを焼いてる自分は
北米に移民したナポリ人の気持ちを想う
移民達が持ち込んだ郷愁のソウルフード、ピッツァ
僕も短い経験しかないけど
ソウルフードってさ
産まれた彼の地を想うことじゃない
僕の感動が産まれた土地を想い
共感を通して皆様と
繋がっていけたらなと思ってます
Napolitanizzzato
今僕にとってナポリ人みたいに振る舞うってことは
誰かのために時間や気持ちを割くことができること
自己中心的と言われるけど(笑)
自分のことを真剣に思えなくて
他者を想うことができるかね?
こんな時代だがら
あと何年生きるか知らねけど
出会ったことにありがとって
優しさと好奇心でもって
世界と関わっていきたい
「誰1人おいてかない」
タンブレッロに溢れる連帯精神です
LOVE &PEACE
50歳にもなると使い古された詞がしっくりくる
サンボマスター山口君は同郷
何かを伝えるのに魂かけるって凄いこと
会津の男は熱いんだぜ(笑)
VIDEO
おおつぼ
2022.04.10
国際女性デー
ウクライナ
キエフのスーパー
男性が女性に贈る花を求めて
列をなしてた
花と銃
そこにある美しいものを
美しいと感じるのは
立ち止まり
見上げる
心があるからだと思う
逃げまどい
追い詰められ
憎しみと恐怖に心が支配されたら
咲き誇る満開の桜道も
ただの避難路
善人顔して近寄ってくる
悪いひとたちは
いつも銃を持ってるわけじゃないから
心に花を
VIDEO
日本橋の小さなピザ屋から
ピースマークを送るぜ
この素晴らしき世界へ
おおつぼ
2022.02.13
不肖大坪、先日50歳になりました
「人間五十年下天の内をくらぶれば、無幻のごとくなり」
桶狭間に向かう信長の舞の如く
悠久の時に身を委ねれば人間の人生なんて夢幻
もう怖いものなどありません(笑)
街には
微かに見えてきた灯りに暖をとる人々、
明けない夜が無いことに
改めて感謝しながら
毎日精一杯生きてやる
50歳の決意表明
日本橋の小伝馬町にある小さなピザ屋
冬の夜の暗がりの中で今夜もポツンと営業してます
商業施設も何もないこの場所に人が集まってくる
若いカップル、家族連れ、老若男女に異国の方々
お客様がタンブレッロに至る物語は様々で
その物語の一つ一つが僕は愛しい
あなたもブラッド·ピットも女王陛下も皆
ピッツァの前では平等
タンブレッロでピッツァを作るって
僕の感動を伝えることだと思ってます
僕はイタリアに感動して、この仕事を生業としてる
だからお客様に提供するものは
イタリアの匂いや、空気、音までも
一緒に伝えたいなって思う
地産地消、地方料理の集合がイタリア料理ならば
国産の食材で表現することは決して間違いじゃない
でも僕は九州や北海道の小麦粉は使いません
椎茸や筍も国産のフレッシュモッツァレラチーズも
使わない
全部使ったことがあるから言ってます
美味しいのも、知ってる
でもね僕がピッツァを作るときの現在地は
いつもイタリア
僕より美味しいピッツァを作る職人さんは沢山います
でも自分にしか表現できないピッツァはある
それで良いって思うんだ
拘りや蘊蓄は鼻かんで捨てちまえば良い
難しそうにピッツァは焼きたくない
そんな職人ナポリにいなかったもん
なんか美味しいの焼いてくれる
イタリア好きなオジサン
それぐらいが調度良いかなって
力も抜けて少し柔軟になった僕は
最近良く笑う
世界的なコンテナ不足、輸送コストの値上げで、イタリア産の食材は高騰中!
ピエモンテの豚コレラの影響で今後何年もイタリアからのプロシュットやサラメは使えなくなるかもしれない
今後、日本でナポリピッツァを表現しいていくには国産の食材やアメリカ、ハンガリー産の生ハムを使わなきゃいけなくなるかも..
でもさ
今までもさ
これからもなんだけどさ
ぼくの仕事は加工業だと思ってる
イタリアの各地からタンブレッロに至る食材の道があって
全ての道はローマに通ずじゃないけど
タンブレッロに来る全ての食材にはそれぞれの物語りがある
イタリアからの食材には、
生産者の、
加工する人の、
それを運ぶ人の、
そしてその土地の匂い、空気、おしゃべり、潮の香り、太陽の熱、体臭っだったり、その日食べたかもしれない昼食のパニーノの残像とか、雑踏を行くスクーターの騒音だって聞こえることがある
僕はそういうイタリアの景色を
自分の経験と知識と愛情で
加工して表現してる
スパイスはいつも感動
イタリアが好きで
ナポリが好きで
ピッツァ職人になった
伝えたいものは、料理を包む包装紙の文化だったり(笑)
職人の手仕事の後ろにあるロザリオとマラドーナだったり
路地裏で残り物のピッツァを食べるナポレターノな野良犬の滑稽さだったり
素朴な料理をベースにしたナポリとナポリ人の大袈裟な人生だったり
ピッツェリアの煤けた黄色い壁紙の色だったりする
だから食材にはイタリアを感じていたいし
イタリアに無いものは作らない
フュージョンやクレアティーヴァ
それは他の人がやれば良い
Dal’ Italia via tamburello
イタリアから
タンブレッロで乗り換えて
お客様まで道は真っ直ぐ続いてる
ナポリ日本橋オールナイトロング
イタリア、ナポリ行き片道切符
マリナーラ1200円
情熱を持って
ロマンティックは止めずに
これからも伝えて参ります
VIDEO
“Faccio sempre quello che mi dice cuore”
僕の心の言うままに
“Fai sempre quello che ti dice cuore”
あなたの心の言うままに
大坪善久
2022.01.03
~2021年クリスマス~
コロナを通して
世界は改めて取り戻したんだと思う
本当に大切で特別なこと
本当に大切な特別な人
街には
マライアキャリーに
“I don’t want a lot for Christmas
クリスマスに多くは望んでないわ“
ワム!
“I’ll give it to someone special (special)
今年は、特別な人にだけ、それをあげるつもり“
山下達郎さんも
Silent night ,Holy night
帰ってきた(笑)
「変わりゆく世界の中で
僕は変わらない何かを作りたい」
そう思って11年やってきたけど
クリスマスが1か月前から予約で満席だなんて
昨年が初めてだった
小伝馬町の小さなピザ屋にドリーム感はありません
でもね
変わらないねタンブレッロはと言ってもらう為に
本当に変わらない大きな意思の為に
小さな決定を沢山してきました
だから選んでもらえてるのには
理由があるんだ
そんな自信もついた
ありがとうございます
~2022年1月~
沢山変えてきたから
自分は変わらないって
胸はって言えるんだ
日々の努力や拘りは
奢らず、語らず、押し付けず
只、誇れば良いと思うから
これからも時代と共にさらりと変容していけたら良いな
今年の冬は寒くて長いから
アツアアツのピッッツァと
揚げたてのフリッットに
冷えた白ワインで
大切な人とタンブレッロで旅情を味わって欲しい
作りたい景色は自分で作る
こんんな時代だからこそ
飲食店が出来ることは多い思うんだ
今年も宜しくお願い致します
「世界は変わったけれど私は変わらないの
だって毎日を大切に生きてるから…..
でも明日のことぐらいは分かってる
明日もまた精一杯生きてやるって」
PIZZERIA IL TAMBURELLO
YOSHIHISA OTSUBO
2021.10.25
Via gino doria 81 Napoli
La spaghettata
また電話がなる
アドルフォは朝から喋りっぱなしで
サルバトーレは愚痴りっぱなし
「Questo sabato?今週の土曜かい?構わないよ日本人で良ければ」
アドルフォ今度はどこに行けば良いんだい
師匠は当時ナポリピッツァ職人協会の副会長だった
毎日色んなとこから相談が舞い込んできてた
どこかのピッツェリアで?職人がいないってなるとペペかアウレリオが派遣されてた
二人が駄目ってなあると
ジャポネーゼの出番
日本人でも良いってとこはホテルやレストラン併設の職人の顔が見えないピッツェリアが多かった。。ほら東洋人が焼いてるって、ナポリ人は嫌がるからね
「あんたイタリア人が握る寿司は好きかい?」
こんな経験はなかなかあ出来ないよ
だってね
当日指定されたとこ行くじゃん
市内だったり、ナポリ近郊だったり
前情報無し、いっさいがっさいアバウト(笑)
その日の生地はあったり、無かったり
食材もあったりなかったり
上手くいく日もあれば
そうでない日も
正に対応力勝負
先ずは
冷蔵庫空けるとこから始める(笑)
家庭の主婦状態
そっから店と話して段取り決めて
進めてく
人や職人の面白さって、どんだけイレギュラーを拾ってこれたかだと思うの
そんな経験の礎があると、世の中はワクワクで溢れてくるでしょ
自信がないと世界は恐怖で溢れてくる
自信があれば世界は毎日不思議発見
でも過信がある人の世界は小さい
コロナ渦で内へ内へと向かう意識は
僕の内なる世界や記憶の断片を取り戻してくれました
忘れかけてた大切なこと
イレギュラーな世界でワクワクを感じること
ドキドキすること
知らない場所に旅するってこと
派遣されたホテルの従業員が厨房に入ってくる
「Nakata!今夜のピッツァは最高だって皆言ってる」
当時、日本人は皆Nakataと呼ばれた
疑念が信頼に変わると
ナポリ人は徹底的に信用してくれる
カメチエーレが言う
「mi raccomando una pizza per me!
後でピッツァを一枚宜しく」
こうなると店が歌い出す
客の笑顔とおしゃべり
カメリエーレの怒号とジョーク
キッチンの熱、焼き上がるピッツァ
ニンニクとバジリコの香り
お客様とお店、スタッフ間に信頼が産まれた時
愛に包まれて店が嬉しそうに歌い出す
それを僕は幸せと呼ぶ
こういう経験をするとね
レストランの仕事は辞めれなくなるんだ
辛いこと
泣きたい夜の方が多いけど
ナポリでこの歌を聞いてから
僕はずっとここにいる
僕のピッツァを食べたカメリエーレが言ったんだ
「Yoshi,si sente la pizza
ヨシ、ピッツァを感じるぜ」
最高の誉め言葉だろ
自信は経験からしか作られない
過信は無知からしか生まれない
不安はあんたが未経験なだけ
これからの時代
胸はって生きたいんだ
多少の自信も50年でついたし
ワクワクはあの時のまま
知らない明日はいつだって未知なる冒険
だから
今日も精一杯生きようって思う
アドルフォが電話に出る
「ヨシ、この前のホテルがまた来てくれって言ってる
Hai messo supumante dint’a pasta?
生地にスプマンテでもいれたのかい?」
こうして信頼“Fiducia゛の絆が出来上がるんだ
僕はこれからの時代も
タンブレッロが奏でる歌を聴いていたい
YOSHIHISA OTSUBO
2021.08.24
ワクチン接種2回目終了
経過観察中、時間があるんで
ちょっとした生地の物語をひとつ
イタリア生まれのナポリ育ち
長時間発酵で強さを発揮するカプートって強力粉
ミネラルたっぷりシチリアはトラパニの海塩
生イースト
日本橋の水道水
タンブレッロの生地はこれだけでできてます
カラブリアじゃジャガイモも入れたし
砂糖だ油脂だと足すのは簡単だけど
何も引けない
これ以上は引けないミニマムな原料だから
イースト量も水温も大事になる
塩分量も室温も大事になる
もちろん湿度や室温も
我が子のように大事に作ってる
愛する人に触れるように
優しく扱っている
僕は朝も夜も同じ生地を扱います
お前さんの彼女に朝と夜の顔があるように(笑)
生地も表情を変える
薄化粧の女性がスッピンとのギャップが少ないように
生地の表情をできるだけ調えるのは低(薄)イースト
栄養が少ない方がしなやかに、ゆっくりと老いていくの
ピッツァ生地として産まれたからには
立派なピッツァマルゲリータや
シンプルで渋いマリナーラ、
蜂蜜でドレスアップしたクアトロフォルマッジオになって
あのポーランド娘をメロメロにしたる
そんな妄想をイーストで膨らましながら生地達は番重の中で発酵してる
でもさ
ピッツァとして生涯を終えることが出来る生地もいれば
もはやこれまでとイースト発効の臨界点でピッツァになる人生を諦める生地もいる
しかーし、しかーしだよ
野球選手になれなかったら人生終わりか?
K2登頂出来なかった者は敗者か、
愛しいあの娘に降られた夜に人世は終わるのかい?
ただ海を見ていたジョニーは人世の敗者か、
嘘をつく奴は嫌いだ
陰で人の悪口を言う奴も嫌いです
物を盗む奴
出来ない理由を探す男も嫌いだ
同じ理由で
生地を捨てる奴嫌い
当店でピッツァになれなかった生地達の熱い思いは語り継がれる
語り部は職人
パニーニ、
フォカッチャ、
パン
タンブレッロの低イースト発酵で育った生地達
厳しい環境で育った生命力は
4,5日経っても残りわずかな糖分で皆冷蔵庫内で生きている。
再生への道は職人の腕の見せ処
翌日ぐらいの生地はフレッシュな生地にくっつけて使うと、熟成された旨味が乗っかって味わい深くなる
二日目からはパニーニ用のパンやフォカッチャになる、もともとグルテンを出さないように練った生地はこの頃になると火の力に素直で外側のパリッと感は、ハンパないっす先輩
三日目から四日目、冷蔵庫の底にある生地の最後は窯焼きパン
一キロ位の塊にしたらグイグイ巻き込んでいく、死んでいたはずの生地に新しい空気が入って、残り少ない糖分でもう一度イースト活性するんだ。本当だよ、薪窯で焼かれたパンは香ばしく武骨で男らしい
戦場で死ねなかった武士の最期の勇姿とでも申しましょうか、お売りすることは出来ません……何故ってお嬢さん
「これパン粉にするんですから❗」
「うちはただのピザ屋じゃありません、フリッジトーリア(揚げ物屋)って看板掲げてますからね、っそりゃパン粉だって自家製ですよ」
ピッツァ生地として産まれたがサラサラ流れる小川みたい、最後はパン粉として終わる人生も悪くないさね
ピッツァ生地の塩味がのった自家製のパン粉がコロッケやパルミジャーナを美味しくしてくれるのです
言いたかったのはね
コロナ渦で、敗者か勝者かなんて馬鹿げてるってこと
皆が誰かの何かの役に立っている
ピザ生地からパン粉まで
捨てる人生なんて世の中に無いわ
残暑厳しいね
お身体ご自愛ください
YOSHIHISA OTSUBO
2021.08.05
深夜零時のvia giustiniano a Napoli
後片付けしてる
油、小麦粉、吸殻とシンク一杯の洗い物
客達のお喋りの残り香
「Yoshi ,oggi e Sabato」
アンジェラ
そう今夜は土曜日だもの
仕事の後の賄いだって
土曜日の夜はピッツァって決まってる
今夜は500枚も600枚も焼いたミンモの薪窯に薪は要らない
ジーノが言う
「fino e bencotta」薄~く良く焼きで😉✨
ナポリピッツァはモチモチが美味いって日本だけ(笑)
美味しいピッツァのおまじない fino e bencotta
小麦粉を食べる歴史と文化がある国はしっかり焼くの
「美味いだろ」とリーノ
深夜のピッツァをペローニで流し込んで
さあ出かけよう
いつもの輩、朝も昼も夜も
明日も、多分明後日も
ジーノ、リーノ、
その友達のマッシモが二人と
アンドレアにパオロ
彼女も家族もうっちゃって、今夜は朝まで遊ぶ
15時間働いてから遊ぶ(笑)
店の前にフォードとフィアット
乗り込んで夜の街へ
ナポリからバニョーリ、海沿いを男達が行く
お喋りなナポリ人、車内にあふれるお喋り
でも誰も他人のお喋りは聞いてない
聞いてるふりして自分の話
この街に聞き上手なんているんだろうか
キリストは黙してあなたの話をきいてくれる
カトリックの国
だから教会は必要
マッシモが車内で屁こいた(笑)いつものこと
「Madonna mia aria !」空気をくれ~
ア~リア~
30過ぎの男共が車から身を乗り出して
Aria! Aria !Aria!の大合唱
土曜日の夜
深夜2時
海沿いのバール
着飾ったカップル
モトリーノに乗った若い男女のグループの中で
30過ぎのオッサングループは異様
ジーノの馴染らしく、バリスタは愛想が良い
何をするかって?
ドルチェを食べるんだ
皆で真剣にショーケースを眺める、
ジェラートにアラゴスタ、
ババにカンノーリ
ジーノはエクレアがおすすめだと言う
さっきまでフライヤーの前で揚げ物してたのに
海を見ながらエクレア食べてエスプレッソ飲んでる
ナポリでは日常が劇的だって思う、
街っていう舞台装置があって
人は皆自由にお喋りして、
それぞれの小さな幸せを大袈裟に表現する
ヴェスヴィオのせいかしら
ポンペイの昔から世界は一瞬で灰になるって知ってるから
帰り道、リーノが朝飯を買うと言う
暗がりの中、オレンジ色の街灯に照らされた倉庫みたいな建物
パスタスフォリアとブリオッシュの焼ける匂い
職人がコルネットを焼いていた
「クレマかチョコラートか?」
「チョコラート….」
熱々のコルネット
まだ油脂が冷えてないからフワフワしてる
一口齧れば、チョコの洪水、最高
皆、口と手をベタベタにしながら
午前4時のコルネット
明日の朝飯だとジーノがお土産を買ってくれた
クレマとチョコラート
職人の手仕事の素晴らしさよ
20年も前の話
何でもない話
2010年の8月4日に生まれたタンブレッロ
コロナ渦の中、静かに11年を迎えました
仕事終わりに海辺でエクレア食べないし
朝帰りとかもうしない
今、人生は劇的でもロマンチックでもないけど
まだ旅人でいれてる思います
だって世の中は知らない人と
知らないことだらけなのだから
お陰さまで自分が出来ること、出来ないこと
やりたいこと、やりたくないこと
そして天から与えられた使命みたいなもんも
このコロナ渦で感じることができました
自分の出来るこの手作業を徹底的にやり通して
未だ知らない世界にコミットしていく
未だ知らない人との出会いもそこにはあるのでしょう
それを僕は旅と呼ぶことにするんだ
19歳でシベリア鉄道に乗った
今、僕の旅には
家族がいて、スタッフがいて、大切な仲間がいる
コルネットから溢れてくる
チョコレートみたいに
幸せと感動が溢れてくる人生を
みんなと
これからもね
YOSHIHISA OTSUBO
VIDEO
2021.06.14
緊急事態宣言解除まであと少し
ここまでやったのだから
やりきって終わりたい
矢吹ジョーのように真っ白に燃え尽きたら
コロナ禍という真っ白なリングに
思い思いに落書きしよう
子供達の純粋さと
身につけた知恵と工夫で
インスタグラムをやり始めて感じたこと
自分にとって王道メジャーが
実はマイノリティの為の非常にマニアックな世界だという現実(笑)
こうなったらとことんトントコトンと
自分の好きな世界を進んで行くぜと決意を新たにした次第
「先を行く者は底も通らなければ行けない」
その言葉を信じ,川口浩が洞窟に入る気概と勇気で
コロナ禍もコロナ後も
全部ひっくるめて
冒険エンターテイメントにしてしまえ
おいらの冒険をひとつ
2001年、ナポリ➡️カラブリア
いっぱしの職人気取りで、方言も多少話せるようになったし、バールでのチップも様になってきた頃の話
街はもうすぐ春って頃なのに、皆もうバカンスの話しを始めてる、カラブリア、プーリア、ギリシャ、1年のピークをそこに集中させる熱量❗おいらにゃ関係ない話し、1キロぐらいのバジリコをサルバトーレと掃除してた。
電話越しに師匠のアドルフォがこっち見ながら、
「 ma va bene giapponese?」
日本人で大丈夫?って何の話だよ師匠っ!
電話を置いたアドルフォ、「ヨシ、カラブリアで仕事してみないか?月給300万リラ、日本人で良いと言ってる」やっとお金をもらって仕事出来るようになってた、給与は倍、リゾート地で、プライベートビーチもある、6月から9月までの繁忙期、海、ビーチ、一夏の恋
即決
6月の中頃、カラブリア州ヴィーボマリーナ、玉ねぎで有名なトロペアの近く、人口一万の小さな海辺の町、果たして初の日本人なんじゃねぐらいに、意気揚々と壁の白が黄味がかった古びた駅に着いた
海、ビーチ、一夏の恋
Villaggio camping Dolomiti sul mare,今じゃ★★★★の立派なホテルになってしまったけど、当時は家族経営のリゾート施設、キャンプ場に併設されてバンガローやレストランに売店、プールにディスコ、ティレニア海に面した真っ青なプライベートビーチ、レストランの横には100人は座れるピッツェリアがあって、そこがおいらの職場だった
オーナーのアンジェラと娘のマリアからこのカンペッジョを取り仕切る顔役のアントニオ(トニーニョ)を紹介される、困ったことがあったら何でも聞きな、真っ黒に日焼けした肌にサングラス、塩と風とンドゥイヤの臭いが体臭を作ってるようなカラブリアの漢
早速、トニーニョの四輪バギーでピッツェリアに連れていってもらう、昨年の夏から火入れしてないっていう薪窯は人一人縦に入りますぐらいの全長の見たこともないパン用の巨大な窯
薪は?って聞いたら
昨年切ったオリーブの🌲がある、なんぼでもある、好きに使えと
自産地消ね、油含んでるから良く燃えるってよ
おいらの教育係兼ルームメイトになったのはチュニジア人のモハメッド、出稼ぎでイタリアに来たモスリム、ただ一人の有色人種だった彼と黄色い日本人はすぐ友達になった。シーズンオフはオーナーのアンジェラの家事や身の回りのお世話をして長年働いてる彼のお蔭でこのカンペッジョのヒエラルキーと大体のルールも直ぐ理解できたし、狭いキャンピングカーでの共同生活も控えめで思いやり溢れる彼のお蔭で快適だった
さてと
オープンまで3日、シェフのミンモやマネージャー、ホールやバールのスタッフとも顔合わせ、多少の不安を見せながらも好奇心が勝るのか、皆初めて見る日本人に優しかった…カラブリア、良いとこじゃん
海、ビーチ、一夏の恋
レストランのプレオープンには、地元の方や、オーナーの友人なんかが沢山やって来るから頼むよってマネージャーからも念押しされてた。当日の僕はナポリでやってた通り、アドルフォから教わった通りに生地を練って、窯を焚いた、それしか知らなかったから迷いもなく自信満々でね
7時オープン、まだ6月でもカラブリアの太陽は強く、海辺の湿度は高い、皆少し着飾ってシーズンの到来を祝う為に続々と来店してくる。生地多少発酵してるけど気にしないで行こう、常温での自然発酵しか知らない経験値一年半の気持ちピッツァ黒帯君のカラブリアデビュー、最初は良かった。オーナーのアンジェラがこの前より美味しいって声掛けしてくれた、有頂天ケラ、そっから日も暮れるに従って、客足が増えてくる、当然夜の食べ物ピッツァのオーダーが増える。
が、しかしだここにきて窯の火も暮れてくる(笑)、極太の丸太みたいなオリーブの🌲は一端火がつけば長時間持つけど、火がつくまでが遅いのね、この薪で長時間営業したことの無かった僕は次の薪を窯内で乾燥させ準備するのを怠ってた、簡単に言うと循環のプロセスを止めてしまっていた。パン用の巨大な窯の火を循環させるには燃えてしまった丸太のおき火🔥燃焼中の丸太、これから燃やす丸太の乾燥っていう
産まれ➡️生き➡️死ぬみたいな生命のプロセスを循環させていく必要があるの、それを止めてしまえば火の神ルシファーは滅する訳
そんでもって生地だわな午後9時頃のドピーク、カラブリアの暑さに生地は死んだ、そう神は死んだと言ったのはニーチェだが、ナポリでは犬のウンコを踏まないように守ってくれた聖サンジェンナーロのご加護も遠くカラブリアには及ばない。生地管理と発酵管理のミス
過発酵でピークを過ぎた生地は扱いにくい、ピークを過ぎたアイドルぐらい扱いにくい、そしてなんと発酵過剰の生地を焼くには高温の窯の火がいるのはご存知か?
つまり身寄りもいない南イタリアの田舎街で、東洋人のピッツァ職人気取りは過発酵でベロベロの生地と燃えない窯でカラブリア軍100人ぐらいを相手に戦わなければいけなかったのであります。レオニダスは300人でペルシャ軍100万とテルモピュライで闘った、絶望しながら生地を伸ばし焼く、当たり前に出来ていたことがが出来ない、アドルフォ、トト、ジュセッペ、助けてくれる仲間はいなかった。ただ一人モハメッドだけが隣で手伝ってくれていた….チング…友達
ジャポネーゼ完敗
その日の夜のことは良く覚えていない、後片付けを終えたらモハメッド以外誰もいなかった。彼が「ヨシは大丈夫、良い職人だ」と寝る時に言ってくれた、大したことじゃない、明日から頑張ろう、そう思って寝た
翌朝、大したことになってた
朝、誰も目を合わさない
バールでエスプレッソって言ったら、昨日まで笑顔だったバリスタが無言。売店のオバチャンが「あんた何やったのさ、アンナがincazzata 怒ってる」、施設内を歩く俺に向けられる視線はそうナポリの旧市街スパッカナポリを長髪に麻のパンツ、絞り染めの紫のTシャツで歩いた時に感じた疎外感に似てた、憐れみと嘲笑の視線
レストランにつく、昨日はプレオープン、週末まで営業はないから、シェフのミンモとマネージャーに昨夜のお詫びと思ったら、顔見るなり「東京行きのチケットは買ったかい?」(爆)
Gioco poco ma giocoってさ
ヨコポコマヨコ(まあ、プレーは出来る、少し)
サッカーの三浦選手がイタリアのジェノバでプレーしていた時にイタリアで言われていた選手評がそのまま日本人を表現する言葉になっていた
イタリアは身内の信頼で成り立っている、シェフかマネージャーの一人でも、オーナーかその娘の一人でも俺を信頼してくれるなら状況は違っただろうけど、俺の味方はモハメッドだけ
さてどうする、若かった、そんな状況下でも結構タフだった
でも紹介してくれたアドルフォに申し訳ねー、どうしたもんかいとカラブリアの星の下俺も考えた。Nokia が鳴る、フィレンツェに出稼ぎに行ってるパオロからcome stai caro?俺の兄弟子
カラブリアで一人でやってるって聞いて心配して電話してくれた、泣けるっぜ兄貴。矢継ぎ早にことの顛末を語ると
「なあヨシ、カラブリアじゃcazzoのことをduroって言うだろう」”↗️単語の意味が分からない方は自分で調べてね(笑)“
生地もduro(硬く)作れ、イーストはリッター当たり1グラム、七分の発酵で冷蔵庫に入れたら営業2時間前に外に出せ、蹴りだしは若いぐらいで良い。カラブリアは気候が違うし一人でやるなら作業性も大事だと言われた、それでも上手くいかないならまた連絡しなと
啓示だった、一つのやり方だけじゃないってこと
考え、工夫して、決断して、実行すること
迷いなんか無かったから、翌朝直ぐに試した
果たして、生地は良かった。作業性、生地のピークタイムの持続性も申し分ない、あとは巨大な窯の熱量を持続させる薪の炊き方だったけど、長時間燃えつ続けるオリーブの丸太の特性をいかして直列に配置して、段階的に入れ換えていくことで熱量を一定に保てることが分かった。どう乗りこなすかはイタリア車みたいなもの
日々試行錯誤している俺の周りの状況は依然として変わらず、皆どこかよそよそしかったけど、オイラは少しずつ手応えを感じていた
迎えた日曜日の夜、7月の初めは予約もまばらでレストランも閑散としてたけどピッツァのクオリティと窯の状態は納得のいくものになっていた。帰り際のボローニャから来たってお客さんが未だ明るい海を見ながら煙草をふかしてる東洋人に声をかけてくれた
「ピッツァヨーロかい?マルゲリータ旨かったよ」ウインク
遠くでマネージャーがこっちを見てた
そして信頼をつかむ決定的なチャンスが訪れた
今度の水曜日に地元の小学生50人が先生と一緒にカンペッジョに遠足に来る、昼食にはピッツァを食べたいそうだからお願いとマリア
OK マリアやれるさ
決戦は水曜日
内心ビビってた、これでやらかしたらマジで゛帰れソレントへ“
つまりピークタイムを13時に設定して、そこに全集中って訳。前日の営業終了後、涼しくなってから生地を仕込んだ、早朝に冷蔵庫で寝かせて窯を焚いた。先生達の分もいれて9枚焼き✖️6回、イタリアの小学生は大人と同じ250グラムの生地をペロリと食べる
いざ
レストランの人間は誰も手伝ってくれない、明らかに試されている、ピッツァを運ぶ為だけに地元の高校生バイトが二人、目の前でお喋りしている
小学生入場、ピッツァ!ピッツァ!の大合唱が始まる
ままよ
第一投
9枚を手前から、最後の一枚は一番奥に、じっくり頭でシミュレーションしたんだ。you tubeなんか無い時代、イメージの具現化には徹底的に細部までの考察が必要
振り替えったら次の9枚を伸ばす、ピッツァはベンコット!カラブリア人は日焼けした肌みたいな良く焼けた生地が好き
振り替えって9枚を取り出したら、トッピング
Vai Vai!!!!! 行け行け 高校生がピッツァを持っていく ガキ共の歓声と熱狂
俺はマシーンとなった、感情を持ったピッツァマシーン、長方形のでかい薪窯とのシンクロ率は120%、ピッツァが火を食べて大きくなる。減少した熱量をオリーブの丸太が体内の油を燃やして補っていく、理想的な循環のループ
30分かからなかった思う
バイトの高校生二人の目にリスペクトがあった、イタリア語でいう
RISPETTO 尊敬ってやつだ
夕方の営業の前にアンナの事務所に呼ばれた
「グラッツェ、ヨシ、顧問の先生が大変喜んでいたわ。皆大満足だって、ありがとう」見たことの無い笑顔で
事務所を出てバールに行った
スーっとエスプレッソが出てきた、ウインク
シェフのミンモが明日の賄いはピッツァにしようって言ってきた
その日から毎日、施設のスタッフは代わる代わるやってきてはおらが家の自家製のンドゥイヤをのっけてピッツァを焼いてくれないかとお願いにくるようになった
ある日顔役のトニーニョが昼飯に自分のキャンピングカーに誘ってくれた。レストランのマネージャーが耳元で教えてくれた
「トニーニョに誘われたってことはさお前が完全に認められたってことだよ、もうお前に何か言ってくる奴はいないし、何かあればトニーに相談すれば良い」
モハメッドが嬉しそうに笑ってる
日本から遠く、俺はカラブリアで男として認められたんだ
最高の海とビーチはあったけど
残念ながら一夏の恋はなっかった
Vivo marina
Dolomiti sul mare
写真なんか一枚もない
翌年の春Nokia が鳴った
マリアから
「ヨシ、今年も来てくれるんでしょうね?」
涙が出るぐらい嬉しかった
YOSHIHISA OTSUBO