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カラブリアで男になった

2021.06.14

緊急事態宣言解除まであと少し

ここまでやったのだから

やりきって終わりたい

矢吹ジョーのように真っ白に燃え尽きたら

コロナ禍という真っ白なリングに

思い思いに落書きしよう

子供達の純粋さと

身につけた知恵と工夫で

 

 

インスタグラムをやり始めて感じたこと

自分にとって王道メジャーが

実はマイノリティの為の非常にマニアックな世界だという現実(笑)

こうなったらとことんトントコトンと

自分の好きな世界を進んで行くぜと決意を新たにした次第

「先を行く者は底も通らなければ行けない」

その言葉を信じ,川口浩が洞窟に入る気概と勇気で

コロナ禍もコロナ後も

全部ひっくるめて

冒険エンターテイメントにしてしまえ

 

 

おいらの冒険をひとつ

2001年、ナポリ➡️カラブリア

いっぱしの職人気取りで、方言も多少話せるようになったし、バールでのチップも様になってきた頃の話

街はもうすぐ春って頃なのに、皆もうバカンスの話しを始めてる、カラブリア、プーリア、ギリシャ、1年のピークをそこに集中させる熱量❗おいらにゃ関係ない話し、1キロぐらいのバジリコをサルバトーレと掃除してた。

電話越しに師匠のアドルフォがこっち見ながら、

 ma va bene giapponese?」

日本人で大丈夫?って何の話だよ師匠っ!

電話を置いたアドルフォ、「ヨシ、カラブリアで仕事してみないか?月給300万リラ、日本人で良いと言ってる」やっとお金をもらって仕事出来るようになってた、給与は倍、リゾート地で、プライベートビーチもある、6月から9月までの繁忙期、海、ビーチ、一夏の恋

即決

6月の中頃、カラブリア州ヴィーボマリーナ、玉ねぎで有名なトロペアの近く、人口一万の小さな海辺の町、果たして初の日本人なんじゃねぐらいに、意気揚々と壁の白が黄味がかった古びた駅に着いた

海、ビーチ、一夏の恋

Villaggio camping Dolomiti sul mare,今じゃ★★★★の立派なホテルになってしまったけど、当時は家族経営のリゾート施設、キャンプ場に併設されてバンガローやレストランに売店、プールにディスコ、ティレニア海に面した真っ青なプライベートビーチ、レストランの横には100人は座れるピッツェリアがあって、そこがおいらの職場だった

オーナーのアンジェラと娘のマリアからこのカンペッジョを取り仕切る顔役のアントニオ(トニーニョ)を紹介される、困ったことがあったら何でも聞きな、真っ黒に日焼けした肌にサングラス、塩と風とンドゥイヤの臭いが体臭を作ってるようなカラブリアの漢

早速、トニーニョの四輪バギーでピッツェリアに連れていってもらう、昨年の夏から火入れしてないっていう薪窯は人一人縦に入りますぐらいの全長の見たこともないパン用の巨大な窯

薪は?って聞いたら

昨年切ったオリーブの🌲がある、なんぼでもある、好きに使えと

自産地消ね、油含んでるから良く燃えるってよ

おいらの教育係兼ルームメイトになったのはチュニジア人のモハメッド、出稼ぎでイタリアに来たモスリム、ただ一人の有色人種だった彼と黄色い日本人はすぐ友達になった。シーズンオフはオーナーのアンジェラの家事や身の回りのお世話をして長年働いてる彼のお蔭でこのカンペッジョのヒエラルキーと大体のルールも直ぐ理解できたし、狭いキャンピングカーでの共同生活も控えめで思いやり溢れる彼のお蔭で快適だった

さてと

オープンまで3日、シェフのミンモやマネージャー、ホールやバールのスタッフとも顔合わせ、多少の不安を見せながらも好奇心が勝るのか、皆初めて見る日本人に優しかった…カラブリア、良いとこじゃん

海、ビーチ、一夏の恋

レストランのプレオープンには、地元の方や、オーナーの友人なんかが沢山やって来るから頼むよってマネージャーからも念押しされてた。当日の僕はナポリでやってた通り、アドルフォから教わった通りに生地を練って、窯を焚いた、それしか知らなかったから迷いもなく自信満々でね

7時オープン、まだ6月でもカラブリアの太陽は強く、海辺の湿度は高い、皆少し着飾ってシーズンの到来を祝う為に続々と来店してくる。生地多少発酵してるけど気にしないで行こう、常温での自然発酵しか知らない経験値一年半の気持ちピッツァ黒帯君のカラブリアデビュー、最初は良かった。オーナーのアンジェラがこの前より美味しいって声掛けしてくれた、有頂天ケラ、そっから日も暮れるに従って、客足が増えてくる、当然夜の食べ物ピッツァのオーダーが増える。

が、しかしだここにきて窯の火も暮れてくる(笑)、極太の丸太みたいなオリーブの🌲は一端火がつけば長時間持つけど、火がつくまでが遅いのね、この薪で長時間営業したことの無かった僕は次の薪を窯内で乾燥させ準備するのを怠ってた、簡単に言うと循環のプロセスを止めてしまっていた。パン用の巨大な窯の火を循環させるには燃えてしまった丸太のおき火🔥燃焼中の丸太、これから燃やす丸太の乾燥っていう

産まれ➡️生き➡️死ぬみたいな生命のプロセスを循環させていく必要があるの、それを止めてしまえば火の神ルシファーは滅する訳

そんでもって生地だわな午後9時頃のドピーク、カラブリアの暑さに生地は死んだ、そう神は死んだと言ったのはニーチェだが、ナポリでは犬のウンコを踏まないように守ってくれた聖サンジェンナーロのご加護も遠くカラブリアには及ばない。生地管理と発酵管理のミス

過発酵でピークを過ぎた生地は扱いにくい、ピークを過ぎたアイドルぐらい扱いにくい、そしてなんと発酵過剰の生地を焼くには高温の窯の火がいるのはご存知か?

つまり身寄りもいない南イタリアの田舎街で、東洋人のピッツァ職人気取りは過発酵でベロベロの生地と燃えない窯でカラブリア軍100人ぐらいを相手に戦わなければいけなかったのであります。レオニダスは300人でペルシャ軍100万とテルモピュライで闘った、絶望しながら生地を伸ばし焼く、当たり前に出来ていたことがが出来ない、アドルフォ、トト、ジュセッペ、助けてくれる仲間はいなかった。ただ一人モハメッドだけが隣で手伝ってくれていた….チング…友達

 

ジャポネーゼ完敗

 

その日の夜のことは良く覚えていない、後片付けを終えたらモハメッド以外誰もいなかった。彼が「ヨシは大丈夫、良い職人だ」と寝る時に言ってくれた、大したことじゃない、明日から頑張ろう、そう思って寝た

 

翌朝、大したことになってた

 

朝、誰も目を合わさない

バールでエスプレッソって言ったら、昨日まで笑顔だったバリスタが無言。売店のオバチャンが「あんた何やったのさ、アンナがincazzata 怒ってる」、施設内を歩く俺に向けられる視線はそうナポリの旧市街スパッカナポリを長髪に麻のパンツ、絞り染めの紫のTシャツで歩いた時に感じた疎外感に似てた、憐れみと嘲笑の視線

レストランにつく、昨日はプレオープン、週末まで営業はないから、シェフのミンモとマネージャーに昨夜のお詫びと思ったら、顔見るなり「東京行きのチケットは買ったかい?」(爆)

Gioco poco ma giocoってさ

ヨコポコマヨコ(まあ、プレーは出来る、少し)

サッカーの三浦選手がイタリアのジェノバでプレーしていた時にイタリアで言われていた選手評がそのまま日本人を表現する言葉になっていた

イタリアは身内の信頼で成り立っている、シェフかマネージャーの一人でも、オーナーかその娘の一人でも俺を信頼してくれるなら状況は違っただろうけど、俺の味方はモハメッドだけ

さてどうする、若かった、そんな状況下でも結構タフだった

でも紹介してくれたアドルフォに申し訳ねー、どうしたもんかいとカラブリアの星の下俺も考えた。Nokia が鳴る、フィレンツェに出稼ぎに行ってるパオロからcome stai caro?俺の兄弟子

カラブリアで一人でやってるって聞いて心配して電話してくれた、泣けるっぜ兄貴。矢継ぎ早にことの顛末を語ると

「なあヨシ、カラブリアじゃcazzoのことをduroって言うだろう」”↗️単語の意味が分からない方は自分で調べてね(笑)“

 

生地もduro(硬く)作れ、イーストはリッター当たり1グラム、七分の発酵で冷蔵庫に入れたら営業2時間前に外に出せ、蹴りだしは若いぐらいで良い。カラブリアは気候が違うし一人でやるなら作業性も大事だと言われた、それでも上手くいかないならまた連絡しなと

 

啓示だった、一つのやり方だけじゃないってこと

 

考え、工夫して、決断して、実行すること

 

迷いなんか無かったから、翌朝直ぐに試した

果たして、生地は良かった。作業性、生地のピークタイムの持続性も申し分ない、あとは巨大な窯の熱量を持続させる薪の炊き方だったけど、長時間燃えつ続けるオリーブの丸太の特性をいかして直列に配置して、段階的に入れ換えていくことで熱量を一定に保てることが分かった。どう乗りこなすかはイタリア車みたいなもの

日々試行錯誤している俺の周りの状況は依然として変わらず、皆どこかよそよそしかったけど、オイラは少しずつ手応えを感じていた

迎えた日曜日の夜、7月の初めは予約もまばらでレストランも閑散としてたけどピッツァのクオリティと窯の状態は納得のいくものになっていた。帰り際のボローニャから来たってお客さんが未だ明るい海を見ながら煙草をふかしてる東洋人に声をかけてくれた

「ピッツァヨーロかい?マルゲリータ旨かったよ」ウインク

遠くでマネージャーがこっちを見てた

 

 

そして信頼をつかむ決定的なチャンスが訪れた

 

今度の水曜日に地元の小学生50人が先生と一緒にカンペッジョに遠足に来る、昼食にはピッツァを食べたいそうだからお願いとマリア

OK マリアやれるさ

決戦は水曜日

内心ビビってた、これでやらかしたらマジで゛帰れソレントへ“

つまりピークタイムを13時に設定して、そこに全集中って訳。前日の営業終了後、涼しくなってから生地を仕込んだ、早朝に冷蔵庫で寝かせて窯を焚いた。先生達の分もいれて9枚焼き✖️6回、イタリアの小学生は大人と同じ250グラムの生地をペロリと食べる

いざ

レストランの人間は誰も手伝ってくれない、明らかに試されている、ピッツァを運ぶ為だけに地元の高校生バイトが二人、目の前でお喋りしている

小学生入場、ピッツァ!ピッツァ!の大合唱が始まる

ままよ

第一投

9枚を手前から、最後の一枚は一番奥に、じっくり頭でシミュレーションしたんだ。you tubeなんか無い時代、イメージの具現化には徹底的に細部までの考察が必要

振り替えったら次の9枚を伸ばす、ピッツァはベンコット!カラブリア人は日焼けした肌みたいな良く焼けた生地が好き

振り替えって9枚を取り出したら、トッピング

Vai Vai!!!!! 行け行け 高校生がピッツァを持っていく ガキ共の歓声と熱狂

俺はマシーンとなった、感情を持ったピッツァマシーン、長方形のでかい薪窯とのシンクロ率は120%、ピッツァが火を食べて大きくなる。減少した熱量をオリーブの丸太が体内の油を燃やして補っていく、理想的な循環のループ

30分かからなかった思う

バイトの高校生二人の目にリスペクトがあった、イタリア語でいう

RISPETTO 尊敬ってやつだ

 

夕方の営業の前にアンナの事務所に呼ばれた

「グラッツェ、ヨシ、顧問の先生が大変喜んでいたわ。皆大満足だって、ありがとう」見たことの無い笑顔で

事務所を出てバールに行った

スーっとエスプレッソが出てきた、ウインク

 

シェフのミンモが明日の賄いはピッツァにしようって言ってきた

 

その日から毎日、施設のスタッフは代わる代わるやってきてはおらが家の自家製のンドゥイヤをのっけてピッツァを焼いてくれないかとお願いにくるようになった

 

ある日顔役のトニーニョが昼飯に自分のキャンピングカーに誘ってくれた。レストランのマネージャーが耳元で教えてくれた

「トニーニョに誘われたってことはさお前が完全に認められたってことだよ、もうお前に何か言ってくる奴はいないし、何かあればトニーに相談すれば良い」

モハメッドが嬉しそうに笑ってる

日本から遠く、俺はカラブリアで男として認められたんだ

 

最高の海とビーチはあったけど

残念ながら一夏の恋はなっかった

Vivo marina

Dolomiti sul mare

写真なんか一枚もない

 

 

翌年の春Nokia が鳴った

マリアから

「ヨシ、今年も来てくれるんでしょうね?」

涙が出るぐらい嬉しかった

 

YOSHIHISA OTSUBO